何この無気力な映画、てなわけで、見る気がしなかったものを、父の日に放映したNHKでした。
折しも、カンヌでパルムドール賞を受けた是枝監督の作品とあって、改めて見ることにした。
家族のあり方を、監督は問うている。ジンワリとした話だが、監督は強く問うているのだ。
対照的な二つの家の子供が、生まれた時に入れ違えられた事件である。
福山雅治の家はエリートでお金持ちの家、リリーフランキーの家は小さな電気屋で、お金持ちではないように見えるのだが。
福山は、いい大学を出て、いい会社に勤めて、仕事でほとんど家にいない男であった。子供との触れ合いも少ない生活の中で、子供が、本当の子供ではないことを知らされる。
一方電気屋の父親リリーは3人のわんぱくな子を持つ子煩悩の親であった。
家族の暮らし方も全く違っていた。自営業であるので当たり前だが、家族との触れ合いが濃い。
貧富の差をチラつかせながら、どちらの家庭の子が幸せなのかという問いを投げかけている。
なんでもお金で解決しようとする福山であった。果たしてお金で家庭の幸福が買えるのか?!
リリーフランキーの家では現代では失われた家族の姿がみえる。
父を中心に立てた一致団結の家族。
風呂は皆が一緒に済ます、飯も一緒にいただきまーすで食べる。貧しい食事もいきあいあいで、
生きるための食事だ。おやすみなさいも、全員一緒に。
お互いの子供を取り替えて、本当の子供を家に入らせたのだが、今までの環境が邪魔をして、子供らは
面食らって、自由奔放であった電気屋の子はもとの家に逃げ帰ってしまう。
何不自由のない生活、福山のマンションではスカイツリーも見え、
上肉のすき焼きが振舞われたのに。
福山は、偽の子供が写した写真を見ていた。そこには、福山の写真がたくさん取られていた。
6才のこの男の子はピアノも下手だし、覇気がない。この偽物の子は性格が自分には全く似ていない。
自分の子なら、もっとしっかりしていて他人に勝つ子であるはずだ。
その後、写真を見ていて気づくのだった。妻や、福山の寝た姿などを写す偽の子どもの心はパパやママに対する愛に溢れていたのだった。
写真を見て、すぐに、電気屋に向かう福山であった。
偽物の子ががやはり自分の子なのだ、と気がついたからだ。
子供に謝ってあやまって、許しを請い、もう一度、自分の子として一緒に暮らすことを
告げたのだった。
福山は紆余曲折後、父親になったのである。
映画では、やはり、リリーフランキーの家族のあり方が、現代では、「もはやあり得ない家庭」であり、それが素晴らしいと、主張しているのである。
わても羨ましい、羨ましすぎるだろう。垂涎の程である。