スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

浅間山荘事件  1972年 2月

連合赤軍という毛沢東的な思想を持った人々が山荘の人を人質にとって、革命を政府に要求したのだったか。高校になったばかりのアホのわたしは、思想的なこととは無関係に生きていた。世間では、大阪万博もおおきな事故もなく終わり日本の面目を果たして清々としていた頃だった。

突然ニュースで立て籠りの事件のことが告げられたー生放送で伝えられ、警察官などが、びっしりと取り囲んだ山荘は、裏面は崖になっていたそうだ。犯人とのやり取りは生放送故の生々しさで満ちていた。ドキドキビリビリの毎日で、膠着状態はつづいていた。

だが本当は、彼らが、彼らはエリートであったかもしれないーぬるい日本に過激な思想を持ち込んでくるなんて、平凡な輩ではないはずだ。

そういう若者達がなぜ、このような過激な銃弾の飛び交う様な事件を起こしたのかという点が、注目されたのではないだろうか。

19歳の加藤、そしてその兄は、仲間内の誤算で死んでいった。弟の加藤は今も生きており、インタビューにも答えていたが、とても緻密で頭脳の良さそうな人柄が感じられた。早朝に犬と散歩に出た 旅館の主人は、帰ってみると、警官に囲まれた旅館を見て腰を抜かす。何があったのか理解できかねる状態で、中に一人留守番していた妻が、人質となったことを知らされる。

彼らは普通の若者であったはずだが、どこでどういうわけで、そういう思想に取り憑かれたようになり、洗脳されてしまったという事実がおおきな問題ではなかろうか。彼らの洗脳のノウハウは、とても洗練されているのだろう。

平凡に生きることにだるくなっていた若者達を獲物にした大事件であったー警察官は犯人らの銃弾で二人死亡ーそれらも生中継で刻々とつたえられていた.。テレビの放送でこんなことは前代未聞であった。放送中にも人が死に、銃弾に倒れるなんて.。母親がつれてこられ、犯人達に必死の説得をこころみていた。というより、そのまんま母親の声であった。大勢の警官らにぎっしりと囲まれた母親は、声しか伝わってこなかったので、さすがに姿は映っていなかったと思う。

特別なことは言っていなかった。政治家の演説のように、忌まわしい言葉ではなかったことを、ここに伝えておきます。

 

 

 



檸檬  梶井基次郎  1931年

肺を病み、いつも熱っぽかった梶井にとって、一個のレモンは、掌にちゃんと乗るほどの黄色いお気に入りの果物であった。コレを買ったのは、梶井が特に気に入っていた小さな八百屋であった。派手な店構まえではないものの、なぜか当時の彼は裏通りの汚らしい通りや、薄暗い店などに魅力を感じておった。多分長いことの闘病やら、火がついたような借金のために、心もひしゃげていたのだろう。昔はよく通った本屋 丸善も今ではまるで彼と無関係のものように感じられていたのだーそれでも、彼はいつの間にか丸善にはい行っていたのだった。

彼の病状は一進一退か、だが、まだ歩くことはできたのだから…。

店内の勝手知ったる画集の棚に来て、色々中身を検査する梶井であったが、どうもこうも、昔のように熱が入らず、ゴッホセザンヌも、まるで赤の他人のようではないか。

彼は、それでも、負けじと、一息ついて、懐のレモンを出してきたーコレを彼が積み上げた画集の上にヒョイと置いたのだった。それは、苦しみに蝕まれた彼の代弁者のようにそこにおさまってくれた。

彼は多分コソコソと、そこから逃げ帰ったのだった。あのレモンの風景を目に焼き付けたまま。

 

それは価値のない行為だろうか。大体、心身を病むと、ーレモンというカルフォルニアの太陽を受けた眩しい黄金色のレモンは、彼の健全への憧れの代弁者でもあったのだろう。虚無の中にいた彼のそれでもなんとしても、とどめ置きたいもの。かれの築いてきた審美眼やら、文学歴やらの密やかな矜持が、心の奥にあったのだろう。梶井基次郎、どういうふうに批評されているかは知らんけど、着物を着た彼の写真は枚数がなぜでも少なすぎて不安ではあるが、その一枚は記憶に残るに十分なものでもあった。

 

彼の人生は短く、急ぎ過ぎる小川のせせらぎの様に流れて行くのであった。彼はそれ故にか、我々の文学史の庭に足跡を残したのである。急ぎすぎた彼ー肺を病む人は、彼と同じように完璧を求め、そして気も短く、時短でそれを求めようとする人々ではないだろうか。タイパ、コスパといういまの時代に近い感覚の人なのかもしれぬ。それは、ある意味わたし個人の生き方を省みるという事を教えてくれたような気がする。わたしの祖父や親族は多くが若くして結核でで亡くなっているので他人事ではない。

 

今回は、梶井基次郎がわたしを招いてくれたような気がするのであった。彼の冥福を祈る。

 

 

 



 

 

 

今日は 1猫ミームのくら寿司

お寿司の好きな猫家族が揃って外出。。目的は勿論くら寿司。ママ公認で、仲良く家族4人で出かけた。

どんどん食べて、嬉しいワイ氏。デザートを多めに取ってしまい怒られる。五枚ごとにおまけがつくシステム。びっくらぽんだ!コレが大好きな子供達。やってはみたがハズレばかりでおわる。

コレで済むわけがない。また五皿をかき込み食べる。今度こそと祈る気持ちでタッチ。最後に当たりました!🥳

小さなキーホルダーぽいのが当たって、多分チイカワ。皆が満足げに帰宅した。次の日 母はそのちいかわのプレートをバッグに吊るしておりました。

こう言うハッピーエンドは滅多にないミーム劇。いつも悲惨なストーリーが多い中 ほのぼのとほのぼのと湯気が♨️登るこうけいである。

なんかたまーに、いいこともあるっていいよね。

何度見てもジーンとなる私。

そういえば、主人公のワイ氏が引きこもりから立ち上がって、バイトに出た時、ママから借りていた10万円を返そうとすると、いいよ、コレはお前のお小遣いにとっておきなさいと言ってくれたママ。ワイ氏が、立ち上がってくれたのが、何より嬉しかったのだね。クスン。

私がミームさんのファンになったのはほんと最近のことなんだけど、猫にかわってお仕置きというか、大きな包み込むような愛を分けてくれる屈折した御引きこもりの無抵抗、無暴力のマインドはどこから来るモノなのかと、不思議でいっぱいなのだ。そいえば、小野洋子氏の本であったが、引き篭もり達はこに世の聖人か なんて書いてあったがのう。

 

 

 

瑠璃色の庭  瑠璃光院   (京都)

本当は行ったこともない庭だが、NHKで、紹介されていた。ひっそりとした佇まいにはとても惹かれるものがある。日の当たらぬジメジメとした暗い石の階段を登ると、雨風に晒されて色褪せた門扉がある。

瑠璃色とは大胆な表現であるが、寺の名も瑠璃光院である。大正末期から存在していてそんなに昔からあるわけではないようだ。

綺麗な水が流れ、八瀬という最寄りの駅もある。、周囲がわざとらしくも薄暗い中、澄んだ池の水の中には錦鯉が泳いでいる。それにはたいていの人がはっとするであろう庭園の手法である。大きめの紅葉も崖の様に垂れ下がり、その緑さえ瑠璃色に見える。下には瑠璃色と言われる苔が濃く生え茂っている。


何よりも大切なことは、其処がかなりにうらびれいて、誰も寄り付かぬ庭の様に見える事である。

京都にあり、観光客が来ているのは分かりきったことなのに。

 

来た者はそこが、自分だけの秘密の庭の様な錯覚に落ちいるいうわけだ。秘密の花園、甘い蜜、とでも言うのか。ああ、ここは自分だけが見つけた素敵な隠れ家であると。

この様な庭が存在することに、人々はホッとするのである。ギンギラギンの今の世に、何か魂の秘密を抜かれたような今の人間。じっさい今の世に、何を 誰を信じることができようか。満たされぬ気持ちのまま

ジグソーゲームの札を持って人々は彷徨っているのだから。それは自分が、ピースの一部であると言う不可解な不可避でもあり得るゲームである。

 

また、この庭は手入れをするにも、気を使いそうな難しい庭っだと思われる。多分だが。

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