スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

檸檬  梶井基次郎  1931年

肺を病み、いつも熱っぽかった梶井にとって、一個のレモンは、掌にちゃんと乗るほどの黄色いお気に入りの果物であった。コレを買ったのは、梶井が特に気に入っていた小さな八百屋であった。派手な店構まえではないものの、なぜか当時の彼は裏通りの汚らしい通りや、薄暗い店などに魅力を感じておった。多分長いことの闘病やら、火がついたような借金のために、心もひしゃげていたのだろう。昔はよく通った本屋 丸善も今ではまるで彼と無関係のものように感じられていたのだーそれでも、彼はいつの間にか丸善にはい行っていたのだった。

彼の病状は一進一退か、だが、まだ歩くことはできたのだから…。

店内の勝手知ったる画集の棚に来て、色々中身を検査する梶井であったが、どうもこうも、昔のように熱が入らず、ゴッホセザンヌも、まるで赤の他人のようではないか。

彼は、それでも、負けじと、一息ついて、懐のレモンを出してきたーコレを彼が積み上げた画集の上にヒョイと置いたのだった。それは、苦しみに蝕まれた彼の代弁者のようにそこにおさまってくれた。

彼は多分コソコソと、そこから逃げ帰ったのだった。あのレモンの風景を目に焼き付けたまま。

 

それは価値のない行為だろうか。大体、心身を病むと、ーレモンというカルフォルニアの太陽を受けた眩しい黄金色のレモンは、彼の健全への憧れの代弁者でもあったのだろう。虚無の中にいた彼のそれでもなんとしても、とどめ置きたいもの。かれの築いてきた審美眼やら、文学歴やらの密やかな矜持が、心の奥にあったのだろう。梶井基次郎、どういうふうに批評されているかは知らんけど、着物を着た彼の写真は枚数がなぜでも少なすぎて不安ではあるが、その一枚は記憶に残るに十分なものでもあった。

 

彼の人生は短く、急ぎ過ぎる小川のせせらぎの様に流れて行くのであった。彼はそれ故にか、我々の文学史の庭に足跡を残したのである。急ぎすぎた彼ー肺を病む人は、彼と同じように完璧を求め、そして気も短く、時短でそれを求めようとする人々ではないだろうか。タイパ、コスパといういまの時代に近い感覚の人なのかもしれぬ。それは、ある意味わたし個人の生き方を省みるという事を教えてくれたような気がする。わたしの祖父や親族は多くが若くして結核でで亡くなっているので他人事ではない。

 

今回は、梶井基次郎がわたしを招いてくれたような気がするのであった。彼の冥福を祈る。