コロナ下で書かれたまだ新しい評論だ。
よく調べてあって、驚いた。著者は三島記念館の館長であり、なるほどそうであろうと思った。
三島由紀夫という作家は読んで面白いエンターテインメントに値する作品を多数書いている。
楽しませてくれる作家である一方、問題も多く、いろいろ悩ませてくれる人物でもある。
まるでミステリーの推理の様に三島のことを考えてゆく謎解きである。枝分かれして多岐にわたり、迷路の様に見えるが、源泉は一つに絞ってゆきたい。
仮面の告白から書評がなされて行く。この作品は、特別であるからだろう。24才頃の作品だが、ずっと温めてきていたのか。彼は、この作品で、LGBTのことを書こうとしたわけではなく、、多分、この作品を通して歌舞伎とか、西洋絵画の様な美しさ、優美の極地を訴えかけたかったに違いない。
ごく若い時から文学的天才を現した、「花ざかりの森」は、16歳の時である。
仮面では、これが三島本人自身の告白だろうかと、皆が動揺したことであろう。そういうむずかしい、発表に勇気のいる作品は、いままでなかったかもしれない。
高見順は、「おおよそ三島の詩や作品には彼自身が描かれていない」と、言った。そんな気もする。
彼の小説はプロットにも技巧が凝らしてあり読みやすく、面白いのだが、ときおり面映い感覚を受けることがある。ひと事の様に運んでいく筋書きにもドキリと嫌な感じを受けるときがある。
そういうスッポコの素人判断とは別に、
小林秀雄、山本健吉以下、だれもが批評に苦しんでいるようだ。適格な言葉が見つからないのだろう。
その後、本人の成長とともにいろいろな作品を発表してゆく。潮騒、金閣寺、禁食、鏡子の家、宴のあと、青の時代、 薔薇と海賊、美しい星、春の雪、豊饒の海、などたくさんの作品が並んで行く。映画、舞台、歌舞伎などになったものもいくつもある。
そのときその時の彼の成長、境遇、実り多い恋、結婚などがあり、変わって行くのである。
若き大学生の時、徴兵を逃れた彼は、風邪を、結核と偽りの診断を得たのだが、家族らも加わって仕組まれた茶番劇であったのではと、著者はいう。恥ずかしいとことだが。
彼は、子供の時は外を走ることも外出することも勝手にできず、全て監視され制限された環境で育っている。故に、運動音痴で病弱そうなモヤシ青年であった。小学校の運動会では走る格好が、やたら妙であったらしい。そんなかれが、ボディビルに目覚めて1955年からメキメキと筋肉をつけた。この頃から、作品に変化が現れてくる。太めになった筋肉を、写真でよく見かけるが、何故という疑問ばかり先立ってまともに凝視できない。何故文学者にデッカイ筋肉が必要であったのだろう。
1968年ぐらいになると、今度は何故か急に自費で兵隊を作り、国防や天皇のありように、文句を言うようになって行く。
何故、このように変わって行ったのか本人に聞いてくれ!というものだ。
このころ、憂国の映画化(1966)で、恐ろしい苦痛の演技をして見せたが、最後は汚れのない着物を着て横たわる二人、聖なる二人と言う有終の美を飾る映画である。憂国の小説は読んだが、よくもまあ、このナルシズムの極地!と驚くばかりであった。
とにかく気味の悪い人間、霧散臭い人間、アンバランスの見本といろいろ思ったが、彼を責めたとて何になろうか。この胡散臭さや見栄っ張りの性質は大抵の人が持ってはいる。
久々に、彼の作品をパラパラと読んでみたが、仮面はとても若い時で、これでもかと言わんばかりの強い押しがある。青の時代もよんでいる途中だが、これは軽快であり、コナレた文章である。
三島、侮るべからずという感じを受けた。
著者の言う「前意味的欲動」と何度もでてくることばは、心理学の無意識のエネルギーのことだろうか。
学習院、東大法科卒業後エリート官僚を目指し、その後、辞職して、作家という不安定な職を選び、といっても、辞職したことは大きな問題であったー彼は、ここで、ひとびとととの社会生活にくぎりをつけたのであろう。彼には文学で身を立てるだけの才能があったことは公私共に、認める所だ。
彼の生前の写真を見る時に、尋常あらざる辛い気持ちが湧き起こる。あの悲しそうな眼である。
悲劇への欲動は、知らず知らずのうちに、彼を蝕んでいったのだろう。不思議な少年は自分の居場所を求めてもがいたのだろうが、ついに無意識の奔流は彼を連れ去ってしまった。天才と呼ばれた彼を、引き止められる人は彼の前に現れなかった。
著者の最後の言葉には、「人間世界の辺境」にという言葉があり、同感を禁じ得ないのである。