全体的によくわからないように出来上がっている作品であった。それぞれが、解釈したいように解釈してくれてもいいよと言う、余白を持たせた設定になっている。
役所が殺人を犯し捕まったが、弁護士の福山は、何か釈然としないものを感じて居心地の悪かった。
何が変なのかも分からずに、監獄で、犯人と接見を続ける福山であった。
ますますよく分からないといった福山の表情。
そこにはまだ若いながらも経験に富み手慣れた重厚な雰囲気が漂う演技であった。
だがガムシャラに頑張って出世した後では、家庭には大きな穴が空いていた。
妻は娘を連れて家を出た。娘は万引きもした。
そんな中でも、やはり事件に向かい合わざるを得ない仕事人間の福山であった。
殺人現場の河川敷に、高校ぐらいの若い娘(広瀬すず)が立っていた。足を引きづって歩く子であった。
後に、この子から、父親を殺したのは自分だと、におわせるような証言を聞くことになる。
殺されたこの子の父親は、14歳のころから娘をレイプしてきたという。
恐ろしい事実を知る福山たち弁護団。
役所は自分が殺したと言い張るのみであった。彼は過去にも同じような、よく分からぬ殺人を犯して来た。そして罪をかぶって来たようなことがあったのではないかと、福山は読んでいた。
これは明らかに、この娘をかばって罪をかぶるつもりであったのだ。
裁判では真実を述べる、役所は犯人ではない、と、公の裁判の場所で、言うつもりだと、必死の表情で、福山に食い下がる娘であった。
ついに裁判の日が来た。裁判官以下、面倒なことは見ぬふりをしようと決め込んでいた。
役所は罪をかぶって、死刑の宣告を受ける。
そもそも、福山の演技を描いた映画であったのではないか。
そもそも、この映画は何を言おうとしたのか、そもそも、こんな歯がゆいような結末でよかったのか。
そもそもこんなたわけた話があるはずがないと言い切るわけではないが、「そもそもな映画」といっても良いだろう。