エリクソンの児童心理学とも言えるエピソードが、例を挙げて分かリ やすく、説明している。
子供たちが、困ったことになり、困難に直面していると訴える親たち。彼らは真剣であり、1秒でも早くこの難問を解決して楽にしてやりたい、そう思っている。
子供が育った環境を、家庭、また広くは社会を見て、彼らの置かれた状態を解明してゆくエリック先生であった。
その子の抑圧された心が、ユダヤ人という立場が、いや、乳母とのお別れが一人の男の子の体を操り、どうしても大便を出そうとしないという問題。命に関わるものでもあったが、それを見事に解決。
家族からも、詳しく彼の状態を聞きとり、今に至る経過のなかできっかけとなるものをさがすのだった。
子供に対する態度はとても洗練されている。それが、彼の職業である。
数人の例が載っていて、どれもあり得なさそうで、あり得た本当の話なのである。
最後に、統合失調となっている6歳の女の子についてであるが。此れには実に色々あって、エリクソンも、精神科医として、親身になって世話をしたのであった。さいわいこの家族はエリクソンのいた大学病院の近くに住んでいたのだった
そもそも我々のこの世界が、正常だとは誰がそう言えようか?
患者の感覚、思考、それらは、我々とは逆である。外部と内部の逆が生じている。混乱しているように見える彼らではあるが、
不思議なやり方で、コンタクトを取っているのだった。
そんな子供を理解することは、家族にとっても自己崩壊の危険があり、難しいものであった。
博士の指導のもと、この女の子は回復の兆しを見せ時々振り返しながら、言葉を覚えていくのだった。
同年齢の子供のようには行かなかったのだが、母子のコミュニケーションの時間をゆったりととり、溝を徐々に埋めて行ったおかげで、言葉もでてきたし、生活も
大幅に改善した。
だが、だからと言って、女の子の統合失調症が治ったわけではない。「わたしは、」「わたしが」と言う事は、彼女にとってとても難しい事であったから。
結局彼女は別の医者によって診察され、養護学校へ行くことになった。
母と子の触れ合い、信頼関係が、欠けると、色々な病気を引き起こす。
最後は放火魔の5歳の男の子である。この子の困難もエリクソンは救った。
エリクソンの筆記は、やはり精神科医独特のバリヤ〜が、設置されており、自分自身が、罠にかからないように距離が置かれている。両者が壊滅することがあってはならないからだろう。
またそれほど難解ではないと思った。辛抱強く待つ、エリクソンの態度には好感がもてる。