コンパクトな新潮文庫本であれば、27ページからの2、3ページに注目をしてほしい。そこにはコンパクトにこの世の疑問が描かれてあり、短いにも関わらず、ヨブ記のように解釈がムズカしいと感じた項目であった。入学試験などには決して出ないであろう内容となっている。この世の栄達などには何も関係を持たないような自由人の独自の頭の中の話だ。 神についての項目、延々と続く人間の世代にまつわる話、その抜け殻と化した実生活の話など、知らない人というよりも、知っている人もいるだろうと踏んでリルケが書いたこの古い本。彼は、この本が、世間に受け入れられるとはあまり思っていなかっただろう。思わぬ非難さえ受けることも覚悟していたかもしれない。ただリルケは何というか鯉と鮭の混血児という感じがする時もある。このようなことを詳しく書いた作家はいなかったので、物珍しさもあって本は一応受け入れられたのである。この本は、トルストイなどの文豪の本とは違っていて、題名の通り、手記という個人的な感想を書き述べている。
ボケた頭のネジを巻きながら、何と50年もかかってやっと辿り着いたこの話のハッキリした解釈を求め続けた自分であった。それはただわたしの知能がすこうし低いために数十年も苦労して時間を費やしてしまっただけだ。この異常な執念深さは何なのか。もう何だっていい。50年前に一緒に読んだ友人はもういないのだ。正しくは住所が分からないというだけのことだが一人でも、読み解くのがせめてもの友情への感謝の意として今日までかかってしまった。






