色川武大のことは、40年前に、「うらおもて人生録」で、知った。人生には、うまく見えているような表の顔と、コントロール不能の裏の顔とがある、と例を挙げて、教えられたことが、忘れられない。
この人生哲学は、本物だ、と思い、信奉するまでになった。
彼が今生きていたら、めでたく御歳90才である。だが現実は60才で、亡くなっている。ナルコレプシーという幻覚などを従う難病の持主でもあった。彼の人生は神のいたずらなのか、ただの道化だったのか、とも見えるほど、虚と実の組み合わせであった。
彼にはおめでたい長生きなど望むような人ではなかったが、最後に書きたいものがあると、入院中も言いつづけた。
彼はサービス精神の塊で、優しく、嫌と言えない弱点もあったのだ。
そう言うのは、彼の妻である。
またこの歳になって、色川の本を手に取ることになって、やはり、すごい と思った。
実人生と小説とが重なって見える手法である。
何がって、恐ろしいような生き方をする人で、子供の頃から、学校にはいかない、トイレも風呂も行かない、不穏な街にいりびたってグレまくって博打までして、生きてきたことだ。常に暴走族と一緒に走っている様な危険でゾクゾクする感じが、ハンパないのだ。
トイレって、例えば、就寝前には行きましょうとかの、義務感がある。この様なものが、彼は大嫌いだったんだろう。でもおかしな人だよね。
色川の同級生の中には、医者になったもの、教授になったもの、まあ、優秀な人々もたくさんあったはずだ。だが、後々まで色川の記憶に残っていた人間は、奇人変人の類であり、彼らのことを懐かしく思い出したというわけだ。これは、やはり、苦に満ちた人生を渡るのに、とても必要なことであったのだ。
既に野末に眠りについている彼らではあるが。
色川も、グレた生活から足を洗い、やっとのことで、とある編集部に入ってモノ書きになる兆しが出てきた頃であった。
「麻雀放浪記」は、映画にもなったが、事実とは随分違うようだ。
妻は、親戚にあたるいとこの女性で、血の濃いさから、子供はあえて作らないのだった。
妻の苦しみは、それは、イバラのみちであり、物書きとして生きる彼の後ろ盾といっても多くの友人が毎日やってきて、その接待は大変であったらしいし、
お金の無心に来る人も無数にいたようだ。彼の付き合いは広かったし、彼の書いた本も、売れるようになっていたのだ。
面倒見のいい、優しい兄貴として慕われていたし、自分を犠牲にし続けて、人のために動き続けた人生でもあった。ただそのために、彼は自分を犠牲にしすぎてしまったと、妻は言う。
そのために、きっと命までけずっていたと。
あのような小説を書く人だから、きっと自分を助けてくれるだろうと、道を踏み外した人々は勘違いするだろう。
「生きるためのバイブル」とも言える彼のエッセイは、生きることに疲れ迷い、悩む人々の疲れを優しく解きほぐす解毒剤である。