スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

私のお庭 (偽善者のこくはく?)

庭については結構うるさいよ!ワタシーここには古い庭があって、実はここをボロボロにしたのもこのワタシである。イングリッシュ ガーデンとやらが流行してて、ターシャトゥーダなどの本も出版され売れていた。ダルメインだのなんだのと世界中のイングリッシュガーデンが一同に開花した様な騒ぎであった。だがそれも所詮他人事、遠くに見える牧場や池などは、どこか白々しく堅くまるで、持ち主に対して怒っている様だった。牧草も羊も怒っていて、乾いた目で主人や観光客をねらんでいる。

 

庭については何故あんなに残酷な事ができたのか、自分の性格に恐ろしさを感じて、恥いっている。

素敵な花たちと話すのが日課であった。何もしなくても花たちはワタシの残酷さを知らずに勝手に花開き毎日こんにちは、と笑いかけてくれた。ツツジばかりであったが、春にはユキノシタガきれいな花をゆらしていた。赤モクレンと小手毬の株も子供の頃は見上げていたものだ。

その頃は薔薇を植えている家はほとんどなく、小ざっぱりしたものだった。バラを見かけたりすると、もう必死に食い下がって見つめてストーカーの様にその家の前で必ず足を止めた。といっても、バラなどほぼない埃だらけの田舎の農村であったが。

 

日本庭園であっても、何故かおかしな造りでごった返し、せっかくの庭なのにとても不自然で、流れも感じられないものが多い。庭ならば、水が流れるように自然に流れるような、庭にしなくてはいけない。庭にはその人の性格や暮らしぶりが出てしまうものなのだ。あんなに無垢で簡素で広々と見えた庭が、いつのまにか狭苦しい標本採集のようになっていった。

庭は、家庭の人が見て、毎日見て、歩いてこその庭であるから。家庭の人の住まない庭は、庭とは呼ばない方が良い。

ススキは斑入りのものでなくて野に咲く緑一筋の懸命なススキの方がいいのだ。人工的な花が満ち溢れて色変わりのものが多く出ているが、もう一度

過去に還っても幸せは逃げたりしないだろう。AIの世界が進出してきているが植物界よお前もかとならないで欲しい。毎日毎日我々は情報や物の破片ばかり見ていて何故か幸福から遠ざかっていくようだ。いつもいつも、破片を集めては何も確かなものは手に入らなくて、いつものように不安げに首を傾げた影を見るばかりだ。