徳永教授に辞表を出す万太郎であった。神社合祀令により、熊野の森が木を切られて大切な日本の植物が消えてゆく。また伐採により、土砂崩れが起こるやもしれないと危惧した人々がいた。
紀州生まれの南方熊楠や牧野万太郎などであった。熊野の森に守られて、密やかに咲くツチトリモチは、真っ赤なキノコ状をしており希少であった。国の命令に逆らう行動や思想は禁じられており、牧野は大学に迷惑をかけられないと考え、大学を去るのだった。
ところで、牧野の作った標本は、現在も100年の年月を経て色が変化もしておらず、緑の色がそのままそこにあるので、彼の本気度が、これで推し測られるわけである。
1人の植物学者として、やっと拾い上げてもらったものの、彼は、声なき植物たちの味方になろうと辞職を決めた。歌の好きな徳永教授は牧野のために最後の歌を読んだ。大伴家持の作、西暦750年という奈良時代の大昔の万葉の歌だ。
この雪の消残る(ケノコル)時にいざ行かな 山橘(ヤマタチバナ)の実の照るも見む
この雪の残っている間に行こうではありませんか.ヤブコウジの赤い実が照っているのもみられることでしょうから。
ヤブコウジとは、十両ともいい、赤い小さい実がなって美しい.地面すれすれに、這っているように増えてゆく小さな植物で、常緑である。万両 千両 10両とつづく。
秋に実を付けて、食べ物がない時に鳥に食べてもらいあちこちの木の根元などに静かに根を張る。
鉢に植えて水を絶やさずに日陰で管理するとよいのではと思う。路地植えは雑草との兼ね合いで、管理が難しいかもと思う。