テレビのステージで着ている服は光沢のある黒一色で、なぜかとても似合っていた。そうだ、このように人にぴったりの洋服をいまだかつて見たことはないかもだ。ロックスターもポップスターもなんかテキトーな
布をビラビラと繋ぎ合わせたような衣装だ。踊る若者たちには思い切って私服でやってみると面白いかもだが。そんな勇気は誰も持っていそうにないけど。
今でも学生らが歌の練習を熱心にしている母校の高校を氷川は訪ねた。そこでのぼんやりとした不安と葛藤を思い出し涙が浮かぶ氷川であった。いつも浮いていた自分、なぜ自分ばかり孤独に苛まされるのか、と自問自答を繰り返した日々が胸をよぎったのだろう。彼の進む人生は茨の道であった。
自己を自分で認められない悩みとどう付き合えば良いのか。こんな自分のことをファンの人々はどう思うのか。売れれば売れる程、本当の自分の立ち位置が減っていく不安と戦わざるをえなかった氷川にはやはり特別なものがあったということだろう。それを語るには、あまりにも広く大きな視野が必要と思うので、わたしには無理である。
遂に思いつめてアメリカに行って一人で考えた。町を歩いていても、あ、氷川だという人がいない異国の地で自分を見つめ直した。
特に大切なことは「歌と自分」のことだ。「自分と歌」は切っても切れない関係なので、もう一度やるんだ、やってもいいんだと決断できたようだ。