ラーゲリなんていう地名はソ連のものだ。シベリアの捕虜となって重労働をさせられる恐怖の地である。極寒なのに、食事は一回のみで、黒パンと茶粥一杯と言う貧素な食事であった。凍る大地に雪が降って、マイナス何十度ともいわれる土地で生き残る為になんでもする日本兵たち。ただそんな中で、二宮だけは理性を保とうとがんばっていた。ロシア文学を愛し、教養も深くロシア語もできたため通訳として橋渡しの役をしていた。25年の刑、これが彼らに与えられた。どれ程長いものなもか、想像すらつかない刑罰であった。
必ず生きて帰国するとの思いを持ち続けていたが、最終的には重症の病気にかかり動くこともできずロシアで死んでしまう。
彼の強い精神は、仲間を守り、自暴自棄になった日本兵の仲間を何人も死から救ったのである。
そしてついに残った人々は戦後12年も経ってからようやく帰国を果たしたのであった。家族の元に帰国した仲間たちが訪れては、彼の想い出を語って帰るのだった。
生命が限界ギリギリのところで生きて行く人々の様子は胸を突くものもあり、そんな人々を力づけるのは容易なことではないのだった。