歴史の事をテレビでしていた。その中で空海についてのものがあった。
空海のことはさっぱり知らない自分であったので、これはいいわい、と見たのだった。
空海は、世に言う天才というか、大天才であった。
四国の讃岐の裕福な家に生まれて、エリートコースをまっしぐらに進んでいたのだが、
ある日急に、コースから外れて、ただ一人、絶壁ような切り立った山のてっぺんによじ登り、お経を百万回唱えるの行に埋没したのだった。
人々の心配をよそに、死ぬ覚悟で修行に勤める途中で、とても不思議な体験を得て、宇宙の仏「虚空蔵菩薩」が、星になって自分の口から体内に入った事を感じたのだった。
驚いた空海は、唐に渡って是非とも本物のお経の教えを会得したいものだと願うようになる。
遣唐使の船に乗せてもらうよう懇願し、自費で、唐にいって修行する事を国に誓った。
ただこの旅は20年は帰国せずに唐で修行勉強するといった厳しいものであった。
その頃同じく「最澄」も唐へ行き、これは国費持ちで、推薦され優遇された旅であったのだ。
しかも一年か二年ほどで、帰国できるとされたものであった。
しかし空海は、普通の人間ではなかった!
すでに、中国語をマスターしており、どんな漢文でも読み精通していた。
船は一ヶ月も嵐のために漂流し、やっとの事で長安に着いたのだが、国書は、嵐で失せていた。
遣唐使たちは上陸出来ずに困り果てるのだった。
だが空海が紙にサラサラと書いた文章を読んだ唐の役人らは、顔色を変えて、驚いた。
ものすごい達筆の、しかも素晴らしい文が書かれていたのだ。
おかげで入国でき、喜ぶ一同であった。
唐に入った空海はすぐさま勉強にかかり、お経をよみ、修行に励むのだった。
サンスクリット語で書かれたインドの原典さえも、3ヶ月でサンスクリット語をマスターしてしまい
読めるようになっていった。
此れには唐人も驚いただろう。
密教の偉いお坊さんがいると知って、会いに出かけた。
普通は面会できぬほどの高僧であり、密教の高祖のような人だ。
門を叩くと以外にもすぐに会ってくれた。
そして跡を継ぐのはお前だと言われ、いきなり大阿闍梨の称号を貰う。
超高速出世である。
一方、最澄は長安ではない田舎の方にいたため、貴重な経典を手に入れにくい場所にいたのであった。
空海は高祖から、日本に帰って、密教を広めてくれと頼まれ虎の子のお経本も託された。
あまりにも貴重なものは徹夜して書き写して持ち帰ったのだった。
二人とも、時の天皇に仕え、気に入られていた。政の相談役として頼もしい教養深い僧であったのだ。病気も治したし、いろいろだ。
特に、解釈本がなければ、難しいお経は読めなかったので、解釈本のトラの巻を見せてくれと、
強く頼んだのだった。
ところが、空海は、それを断ってしまった。
教えとは、文字などで読むものではなく、心身で、感じるものだからというのが、その理由だった。
それどころか解説本を取りに行った最澄の一番の弟子はそのまま延暦寺へ帰らずに、空海の弟子になってしまうのだった。
著書は、「般若心経秘鍵」があり、密教の立場から読み解いたものとなっている。
この稀代の大天才は、高野山に入り、今も、奥の院で修行をしているということになっており、400年間、絶えることなく、僧たちが、毎日食事を運んでお参りしているとのことである。
うちの祖母は、78歳の時に、死ぬまでに高野山に行くのじゃといって、親戚の者たちとお参りした。何時間もかけた長旅であったが満足して帰ってきた。うちは禅宗なので宗派がちょいと違うのだが、
長い人生の間に、どうしても高野山に上がるのじゃといって、人生最後の願いであった。
何が祖母を高野山に惹きつけたのか、誰も知らない。