スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

世界一美しい少年  The most beautiful boy in the world ビヨルン アンドレセン ルキノ ヴィスコンティ監督

The most beautiful -に選ばれたアンドレセンの事は、たぶんオタクであれば、たいがいおわかりであろう。アレから50年も経っちゃってんだ。若い世代は全く知ることもないやもだ。1970年にヴィスコンティ監督が、トーマスマン作の「ベニスに死す」の映画化に於いて何としてでも、この作にピッタリすぎる美少年を探して、世界中というか、ヨーロッパ中を探して回っていたのだった。根気良く探していると、1970年に遂に、ビヨルンと言う美しい少年に出会うのだった。

彼は、15歳で既に魔性のようなものを持っており、横から見ても前から見ても大層美しくすっかり気に入った監督は、このドシロウトを連れて早速にベニスに出向いたのである。

彼はとても写真写りも良くフォトジェニックと言われて写真家も喜んだ。灰色の目は、海の色、波打つ透明な金髪が肩にしだっていた。

確かに何の気の迷いだろうかと思うほど、コレは神の気まぐれかと誰もが目をパチクリしただろうほどの美少年であった。彼は音楽を目指していて、ショパンなどをよく弾いていたようだ。

だが、映画に関しては、ほぼ無関心であった。一方で、監督は熱がこもっていくばかりであった。自分が発見した稀有な美に酔いしれる監督。

監督自身がゲイであった。

こっち向いて、あっち向いて、歩いて、服脱いでと注文をつけ、彼は通りにやってゆくだけであった。

一体じぶんの身の上に何が起こっているのか、理解することが困難であった。世界は、彼の周りをものすごいスピードで回っていたのだった。

気がついた時には既に手遅れ。彼は渦に飲み込まれ自由を失っていた。ものすごい数のカメラが、彼を狙っていた。彼はスペシャルな奴隷のような立場になった。自分のプライベートは失われ、いろいろな企画が彼にかけられ、お金儲けの標的となっていく。彼の家族でさえ、そうであった。金、金、金。育ててくれた祖母のためにもと思う彼。

 

気がつけば、中年になり、捨てられていた。彼には、過去に何度も捨てられてきた人生があった。

父も母も子供時代から既にいなかった。

コレは相当に重症な心の傷を負うに充分余りあるものであった。

 

ビヨルンアンドレセンの生い立ちは恐ろしいほど酷いものであった。  事実は小説より…である。

アルコールや、ドラッグに溺れていくアンドレセン。自暴自棄に陥った。だがモテモテの彼は結婚して、女児と、次に男児とをもうけた。彼は父親になるのを怖がっていたが、何とか踏ん張っていた。女児のロビンはすくすく育っていたが、男児の方はある日突然死で、彼の元を去ってしまう。

彼は益々崩れてゆき、深く傷ついたままであった。息子の死に耐えられるはずも無かった。聖書を読んだりもした。元々、彼に与えたもうた美というものは、なにものであり、彼のものだが、彼のものではないような分離された心持ちがするのは偽りのせいかもしれない。

彼は本当はどんな人物だったのか、やはり謎が残っているように思う。彼は、本当の自分を晒すことはなかった。コンリンザイないことであろう。なかなかのやり手なのだ。

 

まあ、誰でもそうなのか。

この人並み外れたしぶとさが、彼の弱点と、長所であった。

 

数年ぶりに大きくなった娘が会いにきた。懐かしい時間がすぎて行った。彼は話題の映画「ミッドサマー」の一幕にも出演した。

ガリガリに痩せているのは若い時のまま、長い毛髪は年取って銀色になり、三つ編みも編んだりする。

彼は、人生を生きることを選んだのだ。コレは大きな大きな決断である。三つ編みはその象徴のようにおもえる。結論から言えば、切なくも可憐な彼の三つ編みだけが、彼の真実を知っているのだ。

 

 

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