純粋に服を愛し、純粋に人を愛した という題名でした。語りは元木雅弘で当たり。
でもこの高田賢三のこと書くのコレで3回目なんです。てへ。
関係者のデザインナーやら、一緒に働いたスタッフ、長きにわたる友人たちのインタビュー。
ジャンポールゴルティエも多く語る。島田順子、コシノジュンコは当たり前友人インタビュー。
皆が同じく言っているのは、純粋、一生懸命、優しい、面倒見がいい、などがあり、いろいろな人をパリへと導き、仕事の案内をしてやる。感謝しているという友人たち。
旅館の家に生まれた賢三、外大をやめて、東京に出る。そこでコシノジュンコらにあう。
学ランを着たままの賢三、2年経っても学ラン姿の彼に、この人本当にデザインナー?、ファッション関係の人?と、不思議に思ったそうだ。
彼の純粋なハートは何年経っても、パリに行ってからも、変わらなかった。
パリに本腰を入れて仕事の拠点を置き、そこで活動し始める。
彼の生み出すプレタポルテは、皆から喜ばれたのだが、彼の人間的魅力が一番受けたのではないだろうか。
イブサンローランなどのオートクチュールの巨匠たちと二分した自由な世界ではばたきつづけた。
世界に多くの店を出した華やかな時代が終わり、不景気な時代が訪れ、ケンゾーブランドを売って手放した。
この大痛手の後、彼は変わらずにデザインを続けていたが、9月コロナの猛威に倒れてこの世を去った。
最後にこんなことを言うのは申し訳ないが、優しいだけでは生きてゆけないということだ。
あれ?!前回と同じこといってるスッポコでした。