自分のことが本当は誰なんかなあ、という困った認識に引き摺られて遂に古希になろうとしている。
なんという弱い自己であろう。
柿の木の下に立っていた子供の頃、あの頃を頂点として後はもう脱線したままダラダラと。
わたしには自分がないー自分の顔がない。そんな恐怖に棹なまされるようになって、もう久しいが。
勿論、そんな自分を切り離すべく私は努力をした。必死の努力をしたのだが、潜在的にしか治らないと言われたこの性格は、人間の世を他の人々のように生き抜くことができない。
世間を知り抜いたようにサッサと行動をすることができないーもじもじと人見知りをして、疑い深く、口を開いても、誰も聞いていないような気もするのは、本当に集金とかの時にはすぐに呼びつけられるのに、お金払っちゃうと、もう誰も私の話は聞いていないですからね。