スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

2015-01-01から1年間の記事一覧

花盛りの森 三島由紀19才(1944年初出版) 花盛りのの森短編集1968年出版より

三島が19才のときに書いた作品として特別視されがちだが、まあ気楽に読むことだ。しかも終戦1年前という際どい時期である。あえて誰にも読まれなくてもよいという初々しいハニカミの気持ちがあっただろう。大正14年生まれの彼は、いや大正生まれの人は、思い…

ドンジョバンニ 2009年公開

ドンジョバンニというスペインの放蕩児にして好色男のオペラをモーツアルトが作曲したのだが、その 脚本はロレンツオ・ダ・ポンテという男が書いたのだ。イタリアのベネツイアからオーストリアのウィーンに追放さたポンテは、稀代の色男ジャコモ・カサノヴァ…

憂国 三島由紀夫著 1961年(小説) 1966年(映画)

川端ノーベル賞 1968年間 三島切腹1970年。 左写真は、映画「憂国」で、三島主演である。 三島の作品は切れ切れにしか知らないが、かなり読み易い文章で、わかり易い。ただ「金閣寺」はこ難しくなかなか読めなくていまだに完読できないでいる。弟の勧めだっ…

御法度 1999年公開 大島渚監督

松田龍平主役とあって、随分騒がれたりしたな。 御法度ってどんな映画だった?と考えていたのだが、あっという間に時がすぎてしまった。やっぱり噂どおりのホモの映画であった。だが大島渚監督は、軽くならず、ズシリとした重みのある映画にしあげたのはさす…

たんぽぽ 1985年公開

伊丹十三監督が初めてだしてきた映画。ですから珠玉の作品なんです。なんかお庭に初めて咲いたパンジーのような作品と言えよう。ラーメンという身近だが奥深いもので勝負した。でこちゃんやはずっと「たんぽぽ」を外した作品ばかりを観ていた。たんぽぽはな…

小さなお家 2014年公開

第二次世界大戦のまえなので昭和の初期ですよね。赤い屋根に白い壁、そんな小さな洋館風の家に 東北から若い女の子が住込の女中としてやってくる。サラリーマンの家庭で、夫婦と男の子の三人かぞくである。だんなは温厚そうな人だし奥さんは綺麗で楚々として…

悲しみよこんにちは 1958年公開

お金持ちのお嬢さんが図らずしも殺人をしてしまう話だが、中学校か高校の図書館にあったっけ。だってサガンが18歳の時に1954年に発表した作品だから、わたしが生まれる前からあったのよ。下駄を履いてた時代にこんな現代的な作品ってやっぱおフランスは芸術…

ピーターセラーズの「チャンス」 1981年公開

なぜピーターセラーズの、とかいた理由はもう一つ同じ題名の映画があって、それはウーピーゴールドバーグ主演のえいがであって、全く違う趣のものだからだ。 この映画はちょっと不思議なものがたりでもある。主人公の中年男は小さい時から屋敷から出た事のな…

自転車泥棒 1948年 イタリア映画

この映画をはじめて通しで見れたので表彰します。ハイ!戦後70年だが、終戦は1945年で私の姉が生まれた年である。広島に応援に行った医者から、8月で臨月の母は、「広島はおそろしい地獄でした。」と聞いたそうだ。イタリアでも敗戦国であり国のなかは混沌と…

ル・アーブルの靴磨き 2011年公開

速報である。こんなことが起こっていいのか、起こり得るのか。ドンデン返しの奇跡がおこる話なんですから、ちょっといさんで「速報」って言ってみたかったんだ。そくほうでもなんでもないんだけどね。くつみがきはしゅじんこうのおじさんだよ。なんか黒人の…

東北の思想家 安藤昌益1703-1762年

秋田藩の大館では度々飢饉が起こっていた。飢えて死ぬのは貧しい農民で、武士は飢えることもない。 オホーツクからのヤマセ風がふく北の地で昌益は無名のまま膨大な論文を書くのだった。 死後も長年無名のままであった。彼は地主の裕福な家に生まれ、町医者…

ボルト 北京大会

期待を背負って出場するたびに大きなどよめきと静まり返った観客たちであった。わたしの家でも家族全員がテレビの前に立っていた。手を握りしめてみまもるわたしたち。ここまで来るのにいろうろつらかったろう。色々な気持ちが交錯する中でボルトは走って勝…

医者が患者をだますときロバート メンデルソン著

アメリカの小児科医のメンデルソン医学博士は「医療異端者の告白」なるものを書き残した。 医者に逆らえる人はほとんどいないものだ。いやでも色々な検査や、注射点滴と効かない薬などをのまされてしまう。患者はそれについて声をあげれない弱々しい存在であ…

Jonny Got His gun ジョニーは戦場に行った 1971年 公開

手足が一本もなく、口も鼻も目もない。舌も歯もない。こんな身体になったジョニー。戦争で爆弾でふきとばされたのだ。それ以来、珍しい生ける屍の標本として軍の病院で生き続けるジョニーだが、まわりのひとたちは彼が誰だかだれも知らない。また彼は心を持…

デルス ウザーラ 黒澤最後の峠 1975年公開

白痴その他の情緒的作品を作ってきた黒澤が、精神的危機におちいっていたとき、ロシアから救いの手が、のべられた。ロシアで、映画を作らないかという申し出である。ロシア文学にも造詣を持った彼がえらばれたのは今までの彼のやってきたことに対する評価で…

まほろ駅前多田便利軒 2011年公開

久々に邦画を見る。なんかリラックスするよ。アウェイじゃないからな。うどん作って食べながらみました。もともと松田龍平がすきなんだ。だからみるのさ。龍平のパパの優作も格好良かったしな。しかし優作様 は役者バカで、なんかいつも演技のことを考えてい…

フォレストガンプ 1994年 公開

忘れられない映画ですね。うすのろのガンプの出世物語です。最後には大金持ちになり、息子もできて幸せになるからね。障害者として生まれたフォレストは、しかし母の深い愛情の中で育った。どうしても普通学校に入れたいと母は、校長に頼み込んでいれてもら…

ジャガーノート 1974年公開

オモシロイぞと言われた映画は、大抵おもろくないのがふつうです。で、これもイマイチでどっかで見た気もする作品です。偶然に観た映画が一番心に残るのは自然の摂理ですね。 豪華客船のブリタニック号はシュラシュラ北大西洋をいきます。そこにジャガーノー…

シェフ(新作) 2015年 公開

シェフという新作ものをみたよ。イヤー、フードものは難しいということが、再確認できちゃったですね。レストランの保守的なオーナーにダスティーホフマンが出ていて、チョイ役ですが、主人公を首にする役。ネットでフードブログを書くプロの批評家と店のお…

影武者 1980年公開 世界の黒澤

黒澤明の作品の中でも、これを一押ししたいですね。ベネチア映画祭グランプリを獲ったとかからではなく、彼の映画の中でも最も良い出来かなあ。勝新太郎がどうしても、ビデオをを持ち込んで、独自に映画を撮ろうとした。監督が二人もいたら、どうなるか。知…

ブラッド ピッドの「セブン」 1995年公開

ブラッドピットという俳優はなんかジーンズだか携帯のCMにでていて、なんて下品で馬鹿みたいな人という印象しかなかったのです。 本当に嫌いなタイプの男性でした。はっきり言って私の知っている男性にそっくりで、わけもないのに不敵な笑みを浮かべてみたり…

ジョニー ・デップ主演映画2つ、3つ ツーリスト2010年

ジョニーの映画は、まあ見てくれがいいので、ファンも多い。初めて見たのは、ギルバートグレイプ(1993)だったが、初々しくどこか恥ずかしげな彼の表情が見ものだろう。凄いデブのお母さんがいて、生活苦にあえぐといった感じの映画だが、若いジョニーの快演…

ペーパームーン 1973年公開

この映画いつみるべきですか?映画の教科書と言われつづけてもはや40年経ってしまいました。でも わたし、でこちゃんやはしっかりとみたのです。一部も洩らさずにね。なぜ有名なのかって? さあ、まあ映画としての基本をしっかりと踏襲している作品だからか…

潮風のいたずら 1987年公開

喜劇である。ただ、結果はわかりきっているのに、長いんだなこの映画。というわけで途中で寝てしまい、3度目にしてやっと最後まで見れたのだった。いや暑いこともあり、眠くて、気が遠くなり、椅子から落ちそうになった、いや危なかったです。この年になると…

映画いろいろ

上野千鶴子氏の「映画から見える世界」より、プレシャス、インポッシブル、みんなで一緒に暮らしたら、歩いても歩いても、 セントアンナの奇跡、などをみて、ここにあげたのは、ひとつひとつ、丁寧に書けない映画ばかりである。映画は映画でも、メロンや、ス…

デッドマン・ウオーキング 1995年公開

この映画の題名の「デッドマンウオーキング」というのは死刑囚が処刑場に向かうときに監獄の看守が、大きな声で「Dead man walking!」と言って周囲に注意をうながす言葉なのである。これから亡くなる人の為に、廊下などを横切る人がいないようにと、いう為か…

戦場のメリークリスマス 1983年公表

「これが観たい 、観たい!」とうわ言を言い続けたた甲斐があって,約30年間おあずけになっていた 「せんメリー」を弟が探して来てくれてやっとみたので長い間、行方不明者似にあえたような変な感じじゃ。フィリピンにいた私の老父がいきてかえれたのはおおけ…

バルザック伝 アンリ・トロワイヤ著

1799から1850に生きたフランスのバルザックのことは小さい時から本箱にあって、「谷間の百合」となっていた。彼の代表作ではあるが未読である。わたしが興味を持ったのは、昔彼の伝記映画を観たことによるのだ。よくふとった(デブと言うべきか)、エネルギッ…

おとなは判ってくれない

トリュフォー監督のデビュー作品で、あまりにも有名で、その点が、気の毒で厄介なことだと思う。 1949年といえば私ゃまだ生まれてもいない時期で、わたしの家がある村落にはまだ、水道も冷蔵庫もなかった。新進気鋭のかれは全く新しい映画を撮った。ジャンピ…

カプリコン・1

1977年…・猿の惑星が1968年だから、それより9年も後に作られている。でも猿惑の方が新しい感覚に満ちている。なんというか宇宙モノだからその辺は同じなんだけど、期待したほどは、おいしくもなかったシュウクリームを食べちゃった満腹感がまとわりつく。 3…