スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

1993年のボブディラン30周年記念コンサート

イヤハヤ、直ぐに騙されて、またまた500円擦られましたよーいつになったら本人が出てくるんじゃー!と待ち続けるも、他の歌手ばかりが群がってのお祭り騒ぎでした。で…、そんな中de後半途中からひょこり数分間のみ出てくる主役本体のディラン様が 立っていました。ギターを持っていましたね。

もじゃもじゃ髪の黒のスーツというか彼の仕事着のようなものを着たオッサンです。でもこれが本物なんですな。なんか後光ががさしてきたような盛り上がりでありました。

結局何が凄いのって、待って待ってやっと本物が出てきたから凄いのよ。横には、ジョージハリスンやら、エリッククラプトンやら、ルーリードやらニールヤングやら、その他大勢の名も知らないロックやフォークのシンガー達がずらりといて、ディランを囲んでいた。要塞のように。

まさに歌手たち出来た要塞である。ディランを守っていた。

でもねー帰ってこない500円、ディラン本人にあの500円返してくれろーってさけびたくなりましたわ。やっぱディランについては、真面目に曲だけを聞いていれば良かったのですね。かれの画像が出てきてもいいのに、チラリとしか出てこないわけです。

ひっそりと一人でミスタータンバリンマンでも、いっちょ聴いてみようかな。タンバリンマンは詩がとても素敵である。素敵な詩はシンプルだ。

彼の皮肉な、マイナーな人々のことを歌った詩は、結構世の中に受け入れられてきたんだね。ビートルズなどが恋の歌を歌って世界を席巻している間にも私が思うに、彼は自分のスタイルを変えることなく貫いてきたという、人気とか関係ないと思っているように見せていた。そうやって自分の歌を貫いてきたという点と、彼の歌は底辺に生きる人々の歌だから、なお一層、人気などに浮き足立っててはダメだと気を引き締めていたのかもしれない。そういうところが一番評価された部分ではないだろうか。それが彼の一徹なスタイルの強みであるだろう。そこはなかなか真似ができないので、他のアーティストらが尊敬するのね。誰も人気には一喜一憂するんだし。

しかも、これよく見れば30年前のコンサートじゃね、コレはあの人達はどうなっているかということだけを考えても、結構大きなのストレスがかかる映画でした。ディランが栄誉ある?文学ノーベル賞をうけたのは、2016年でした。まあでもよかったじゃん。、きちっと評価されたんだからね。