スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

おとなは判ってくれない

トリュフォー監督のデビュー作品で、あまりにも有名で、その点が、気の毒で厄介なことだと思う。

1949年といえば私ゃまだ生まれてもいない時期で、わたしの家がある村落にはまだ、水道も冷蔵庫もなかった。新進気鋭のかれは全く新しい映画を撮った。ジャンピエールレオーという男の子が起用された。フランスの普通の共稼ぎの家庭の事情。14さいの中学生は家では母親の言うことを良く聞いて、お手伝いもがんばっている。実はお父さんは本当のお父さんではない。子供の時から里親に預けられたり、祖母に預けられたりで、母親は自活するので精一杯。やっと今の父親と結婚してなんとか家庭らしきものを営んではいた。男の子はあまり勉強には興味が無くて何時も先生を怒らせている。家では夫婦喧嘩の嵐を耐え忍ぶ。ー
一体何がいけないのか。なぜかれは家出をして、泥棒して鑑別所にはいってしまったのか。
世間様に後ろ指さされるような家庭ではない。母も父も真面目に働き、たまには家族で映画も見に行く
普通の家庭ではないか。夕べには仕事から帰った母親が急いで夕御飯を作り三人でテーブルを囲んで話をしながらご飯を食べている。平凡なさして問題も無い家庭の姿である。母親は、かれを大学に行かせるつもりである。しっかり勉強して、パパのような万年平社員にはなるなと、いってきかせている。何か空回りしているような忙しい現代の毎日のなかで、おとなは自分の都合で子供をしばりつけていくのか。
母親は社長との浮気を主人公の子に見られて弱味にぎられてしまう。義父は結構のんびりとした良い人です。この人は良いパパだが妻にはなぜか逆らえない。
だれも子供の心など知った事ではない。学校の先生もノルマだけを追いかけ、おとなは失敗しないようにと神経をすり減らしてばかりだ。
無意識の様に子どもへの 復讐劇がはじまる。「どんなに躾してもあの子はいうことをききません。どろぼうにまでなってしまって、もう鑑別所にいれてください。」。役職を持ったりっぱなひとたちにはこの親は常識のある立派な人間で子育てにもこころをくだいたが、こどもがバカなばっかりに大変な苦労を強いられている気の毒な被害者である、と見えるのである。だが真実は、その反対であると賢明な人にはわかるのだ。おとなの無意識そうなまことしとやかな顔は嘘と偽りで血塗られている。その罪は重いですね、あなた。子どもが許してくれるまで謝るんですな。結局「出所してもあんたを引き取らんからよろしく」という母親であった。Godamn!
親達には国や県の後ろ盾があり、被害者ぶってさえいたらちょろまかしのつく世界であった。
 
おとなは自分を守るためにずるいことをするのだ。もともと余計者だった彼をじわじわと追い詰め、鑑別送りにしておいはらったのだ。やさしいこどもは親の願望をかなえるものなのだ。皮肉にも!!。
ピアノかハープのような音楽もよろしい。
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追記・これはほんとうにあったこと。トリュフォーの哀しい記憶だ。心の疼きを映画にせずには置けなかったのだろう。