スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

認知症の家族と付き合うの巻

とかく老人は心細いものであるー自分が老人になってみれば、実感するのであるが。身体の不備により色々な事がポジティブに出来なくなるのである。まして、夫に先立たれた女は、家事介護などから解放されるのだが、孤独になることで、精神に偏りが生じたり 性格が変わったり、と変化の時でもある。息子も娘も帰ってこない。結局孤独となるのである。私は、わざわざデイサービスに出てそれを小さくとも続けている。

 

まして認知症になると、とんでもないことを言ったりするので周囲はとても納得できない。

昼夜逆転していて、家族が寝られず困るということになる。八月でも雪が降っていると平気でいいはなつ。苦労して風呂に入れても、恩知らずのように、風呂には入っていないと言い放つ彼ら。毎日の食事にも心を砕き食事を食べさせる家族にがいるのだが、ご飯を食べさせてもらっていないと近所に言いふらす人もいるという。

何かさせようとしても、独りよがりのことを言って、ガンとして聞き入れない人もいるーそういう人に、ただ命令口調で指図しても全く無駄である。彼の主張をまず聞いてやり、少し和ませて、少しづつ目的地へと誘うのがいいとされる。キツイ口調で否定されると、彼らはもう口もきいてくれなくなる事があるという。

やはりしんどくても専門的マニュアルの方がいうことをよくきいてくれるのである。

それを防ぐためにも、感情を傷つけてまで命令に服従させることはかえって介護者にとっても大きなマイナスになる事がある。ヘルパーさんにまず、否定せずいうことを聞いてあげてと何度もいわれたにもかかわらず、結局は他人だからそんなことが言えるのよ、こちとら毎日世話している家族であり、血のつながった人間なんだから、そうはいかないのよ!と反発していた。しかし今思えば、それは真っ当な意見であったのだ。ただ、最近は認知症の研究も随分進んできていることを信じたい。

ただ認知症の人は、自分のことがわからないようだー自分が精神的病気で周囲に何かしら迷惑をかけているのだという認識自体が欠け落ちているのだが、コレはなぜなのであろうか。コレが認知症の本管のような気がする。しかも多くの老齢者がひしめく世の中になりつつあり、常識も変化していくのは当然だ。机上の空論に終わらず、本当に役立つ知識が早急に必要だと実感する最近である。

彼らは長年生きて来て、苦労と喜びなどが多く蓄積されているーしかしその多くはなぜか消え失せて、都合の良い記憶のみに頼って生きているようだ。子供の頃のことが一番多く残っている。結婚して気苦労も絶えなくなった時期の事は綺麗に抜け落ちて、辛い思い出は消されていく。生きるためのコレは結構有効な方法である。彼女らは結婚もしていないし、子供たちもいない身軽な身の上となってあたらしく生きるのである。

そういう精神的障碍者になった老人を守るのは若いものの仕事である。感謝され人間的な成長にもなるのであれば、何とか老人に優しさの手を与えてほしいと願っている。