スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

イエスの生涯  1973年刊行   遠藤周作

1973年よりも以前に書かれた様であるが、キリスト教であった遠藤らしく、イエスの生きた時代背景などが基本的に書かれているので、それと合わせてもなるほどとなるのである。教養人遠藤らしいなと思う。

長年研究してきたテーマであったろうことも納得であるが、それにしても感情に引きずられることもなく冷静に書く事が信条である彼はそれを今回も貫いた。故里庵先生と呼ばれ、吉行淳之介はじめ作家の友人を持つ彼は、この冷静なる?やり方で、結構信頼を得ていたに違いない。人を乗り越えて、有名になるとか売れ筋になるとかを、そんなにガツガツ求めないのは、彼がよほど生まれが良い筋の人なのかとも思ってしまう。または、謙虚と言うことを人生のポリシーにしていたのだろうか。ともあれ、イエスエッセネ派と言われる激しい修行に徹したヨハネに師事して、洗礼を受けてからは、巡礼の旅へと出ていく。

死海文書という過去の修行者の記録が著されたものが発見された死海のほとり。考えてみれば、生物が一切住めない塩だけの水というのも不思議な気がする。何のためにそんなものがあるのか。

ユダヤ教に悉く逆らい逆をいく様な思想をばら撒くイエスに敵対してゆくのはローマに気を遣ってばかりの権威者たち。政治犯として裁こうと躍起になる。バラバも政治犯の過激派であったのだが、イエスは民衆に拒否されてしまう。それは、イエスが以前の様に奇跡を行い、民衆の王として君臨するという都合の良い理想を、全く叶えようとしなくなったからだった。神の子だと言いながら、自分を救うことさえ出来ずに、ゲッセマネへの道をひたすら走った無力無能の男だとの認識に至ったからだ。

最後にイザヤ書という詩文があり、情けないイエスの様子がそこに書かれている。「その人は見目麗しくなく、弱々しく威厳は何もなく、病人の様に見え、悲しみの暗い目をした人間」コレが最後の彼の姿であった。人間の悲しみを全て担う様にされたイエスの姿、やはり胸を打つ。勝利者であることを示し奇跡をおこなっていたイエス。最後には華々しく神々しい光を纏った昔のイエスとは違う姿であった。人のために命を賭けるだけの人間は心を病んだ人の様に見えるものだ。実際のところよくわからないというのでも良いにではないかとさえ思う。緩さで判断しても怒ったりしないイエスであろうから。

そしてそうなった時、その人は命を捧げて人々に愛のみを残した。キリスト教徒でなくとも、歴史としてでも一考する事案であろう。私が、こういうことに絡むようになったのは、一足の靴、黒い靴の思い出からだったーその頃私は人生を踏み外した人間のようになり、神経がヨレヨレになって生きていたのだが、ある日、埃っぽい黒い靴の人と出会い、それ以上はとても恥ずかしくて人に告白するような内容ではないため打ち切りである。

新しい一時代を築いたイエスは、大小の神殿を築く事もなく、神の国の理想をただただ人々の心を救うためだけに捧げたということになる。