歳をとると多かれ少なかれ、認知症になっていくーというか、物忘れが多くなると言った方が正しいと思う。老人は好きで老人になったわけでもなく、苦労に苦労を重ねているうちにこのような姿へとなってゆくー皆、人にはいえない辛い過去があるはずだ。子供の事で長年 苦労し、災害に打ちひしがれ、怖い事件にも遭遇する。長きに渡り多くの苦難に遭ってスッカリ羽をうち落とした彼らは、救いも求めず(これあなたにできますか?)諦め切った境地で自らの命を数珠のように繋いでいるのだ。
母に対しても、私はいつもキリキリとイキリ立って接していた。割り切れぬ思いが日々積み重なっていった。
人の末路は、私の末路は、ある日パッタリと倒れて、やっぱピンピンコロリが理想中の理想ですよ。
私自身もひょっこりと認知症にになるのではないでしょうか。ここは何処、私は誰と言う、過不思議すぎる頭の感覚に、襲われるとき、人は恐怖の表情を浮かべるのだが、周囲よりもまず本人が(どの病気でもそうだが)一番苦しんでいると言う事実、まずそこにスポットを当てて、いくのがよいかと。
時間が経つと、本人がくるしんでいる事も周囲は雑用に追われる日々に忘れ去っていくので、ついつい、厳しくあったてしまうと言うことになりがちだ。医学的見地を含めて優しく接するようにすればよかったと、今更ながら自分のミスを思い出すのだった。
こう言うことは、心理戦なので、プロらしく勉強した者たちは客観的に接することができるのだ。
それは優位に立つとかの意味ではなく、医学的で人道的な見地にたってという理想郷であるが、その理想郷が是非とも欲しいわたしである。