スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

死ぬならボケずにガンがいい  新見正則

医者である彼は、実は漢方がお手のものだ。西洋医学を先行させながら、アバウトな感じの漢方をうまく使って,人々の緊張を解きほぐすーただ話を聞いて手を握るぐらいでも患者は安心してプラセボ的にも、半分ぐらいは治っていると豪語する。

確かに新見の意見は、今の病院医療とは場違いなものだ。彼の意見は我々が普段思っているが、表立って迂闊には口に出せないようなことである。

こんなことはしたくないー検査はしたくないとか、先生の処方薬は飲みたくないとか、その治療は間違ってるから受け入れられないとか、看護師の雰囲気が悪いとか、売店の雰囲気がきらいとか、もういっぱいあるのである。

だがそれは当然の話だと、新見は言い放つ。延命治療にしても、どこか違うんじゃないか、と医者である新見本人が言っているので、つよい。

ガンの医療は現在飛躍的に進んできていて、結構元気げに生き延びてる人も多いのだそうだ。命が尽きるギリギリまで生産的に暮らせる可能性も出てきたという。ガンだとは言っても、以外にも元気そうに暮らしている人も多いのも事実である。楽観的な気持ちと共に、耐える力を養うのはそれ程大変ではないー何もかも薬に頼るのではなく自己回復力を信じてちょっとだけ待っていると、治ることがよくある。命に直結する場合は別としても。ボケてくると医療を丸呑みににして信じてしまう人が多いようだ。何でもかんでも人頼みでは、最後は自分にとって損ですわ。きっと心細いんだろうな。人生とはケッタイなもの。アキラメテ生きていきなさい。

 

著者の新見は、慶応医科を経てオックスフォードにもいった優秀な医者であるらしい。読書好きだった母親が、ボケ始めて色々感じたことがあったみたいだー息子の新見のことが認識出来なくなり、嫁さんのことは毎日世話をしてくれる人だからか、覚えていたのだそうだ。

95ぐらいまで長生きであったそうだが、人の心を垣間見る良い経験になったのである。ただ医者としての見地で下された事柄は、かなり冷たくシビアなものが多い。まるで人を人と思っていないんじゃないのみたいに。また医療の進歩に大幅な期待をかけていることも多いー医者の立場状そうなるのだろうが、患者の立場と真逆なことも多くギャップが大きいと、スッポコはかんじる。知性の大小の違いだけだろうか。ドクターとは人に在らずのような心を持った狼とでも言おうか。

人にとって信頼を寄せるのは矢張り身近な人間であり、イヤな思い出は取っ払おうとする自浄作用があるみたいだ。辛い思い出が元で、認知症を発症する人もいる。様々なケースがあるのでよく見極めてちょっとした表情も見逃さないケアが肝心であろう。娘や息子は身近すぎてかえって感情のみで親と向き合うために、トラブルになりやすい。お母さんにはお母さんの心に秘めた気持ちがあったのだろう。嫌いな人とも適度に付き合い、カラオケ、マージャン、何か好きな事をやったりする。結論、本ばっか読んでると、認知症になり易いと書いてあるが、本当でしょうか。