壮大な仕組みのインド叙事詩のように。まず、よく訳せたなと思うこと。日本人にもわかるように訳すのは大変な事だっっろうことは分かりるね。
まず、出演者は、梵天という、いつまでも若いという天界の神々の主、ブッダ、多くの尼さん、バラモンという修業者たちが主である。彼らはお互いに詩を交わし合って話すのである。ほらね、叙事詩っぽいでしょ。
ところが、ここにもう一人の悪神阿修羅が出てきて、ブッダを愚弄しようと策を練るのである。
とにかく何を使ってでもブッダの心を破滅させようと必死である。これは現代でも過激で無意味ないじめなどにも見られる事実である。恐ろしい言葉を使って、心に破壊的なダメージを負わせようとしている。
お前は、堕ちるだろう!破滅なんだよ、と宣言する阿修羅である。でも、ブッダはほぼ相手にもならいと、追っ払うのが常であった。アシュラはとてもしつこくて、この作品中でも、ブッダに常に戦いを挑みあらゆる地獄の手管で、彼を落とそうとすとするのである。ただお互いに詩を詠んでいただけではないのだ。実際は、命を狙われていたというのがあったとおもわれる。
ブッダといえども、ノンビリ、瞑想に耽ってばかりではいられなかった時代である。野蛮な一派が、彼を滅ぼそうと狙っていたのだから、命がいくつあっても間に合わないさ。
阿修羅像は有名であるが、手が数本もある悪魔神である。
それを思っても、ブッダの人生は困難色に染まっている。その中で、平和、安寧を解くのは容易なことではなかっただろう。そう思うと、何故でも、感慨深いなあ。
彼とても、たまに病気をしたりもするようで、弟子たちが心配して村からクスリや、ハチミツなど求めている。
彼は生身の人間であったのだ、と今更驚くスッポコであった。 :敬具。
追記/梵天は、若く美しく神々をまとめる頂点のいちにいるのだが、生きているときから、多くの修行をした報いでもあった。その中で特に、忍耐についての言葉があった。全ての美徳のうちで最も最高のものは忍耐というものであるとー耐える事、徳の無いものは無力で人生耐え続けるが、絶えないよりは良いのだと言っている。ホンマカイナ!