2019年にジョーカー発表されて数年経った.そして24年に第二弾が、発表された。今までで観た映画のうちで一番印象に残っているものは何?という問いに家族は「ジョーカー」と答えていた.わたしも同感であった。わたしの家族は皆気がおかしいのか、ということだが、当たらずとも遠からずとだけにしておきたい。ジョーカー1を久々に見たが、TV showの司会者はなんとロバートデニーロであった。テレビに招待された初々しいジョーカーの嬉しそうな笑顔に戸惑いを感じた.時間は待ってくれない.あれから皆が歳をとったのだ.ジョーカーも観客も。最終章に向かって進んでゆく第二は、刑務所病院の中や裁判所でのことが中心であるが、それでも上手く繋げたなとは思う.これ以上突っ込んで盛り込んでみても無意味な気もする。この世は相変わらずゴッサムで腐敗した社会なのは今も昔も変わらない。ジョーカーはそこではいつも押さえつけられ誰かにゴリゴリされてばかりだ。そこの軸は変わっていない。ジョーカーが意外にも深くて綺麗な青い目をしていることに、アンバランスさを感じてしまう.青い目は正義の目、優位に立つ者の目の象徴的なものであり、彼の境遇とのアンバランスさもちょっと切ない。ジョーカーは自分たちのすぐそばにいて苦しんでいる友だちの様に身近に感じてしまうのが凄いと思う。
そんな世にたった一人ではむかったから、彼は民衆からヒーローと見なされたのだろう。安易に殺人を繰り返して制御が効かなくなったジョーカーの判決は黒とでた.と同時に、夢を見ることをしなくなったからという理由だけで、彼女は去ってしまう.今度こそ全てを失ったジョーカーは、既に死んだも同然なのである。彼女がジョーカーにあなたの子供ができたと告白するシーンがやはり女性の観客にとっては最高潮の場面であろう。別れのシーンの場所はいつもの長い長い一直線に伸びたコンクリートの階段でのことである.あの階段はこの映画のために作られたものなのではないのか。誰が一体あんな馬鹿げた長い階段を登ろうと思うだろうか。彼女は嘘をついているのかどうかは全くのでまかせとも言えずに悩ましいことである。ジョーカーは本当に子供ができたのかどうかを知ることも出来ず、現実では何も叶えられない人間の代表の様に本当の悲劇のヒーローへと転落してしまう。彼は彼女に精神的に捨てられて、初めて腑抜けの人間としてなり下がったのだった。
しかしあの日確かにそこに愛は存在したのだった.一度確実な愛を見た者はなかなかそれを忘れる事ははい。彼は最後までその愛を信じていたのであった。
そうでなければ、人は人として生きてゆけないものだ。何故か監獄の中にまで入り込むことができるレディガガことリーという女性。全てがジョーカーの見た幻覚だたのであろうか? レディ ガガの歌唱力も確かなものとなっている。
there's a light a certain kind of light that never shown on me i want my whole life to be lived with you to be lived with you … baby you don't know what it's like…baby you don't know what it's like :to love somebody to love somebody the way i love you
鋭い叫び声の様にも聞こえるジョーカーの歌がまるで結晶のように降って来るシーンだ。
精神科医たちは彼の本当の姿を捉えることが出来ずにいる。森を見て木を見ず的な規則で機械的な診断をして行くのを観客らは何のための医者なのかとすっかり幻滅してみている。妄想妄想というが、ほとんどどの人間が日々幻想やら妄想やらを抱いて生きており、ただやはり恐ろしい誤魔化しや脅しなどの風に煽られてその炎は益々いかがわしく燃え盛るのである。そういうことに晒されているのは潔癖すぎて理想主義のジョーカーには辛いことであった。
ジョーカーはこうしてみると切れ切れには全くのノーマル思考であり、我々と同じ常識をふまえた人間であることも分かるのだ。
最終的な感想であれば、この映画と、出演者らはほぼ現実とは思えない演技ができており、つまり個性はあるが癖はないという今まで誰もできなかったと思われる不思議な魔法の様な演技を見せてくれたと思う。ケチケチしないで、平等に、彼らの流儀を我々に与えてくれた。アリガタヤ、アリガタヤ 🥀




