このケイトブランシェットの名は時々聴いていた.エリザベス女王になった映画も見た。.背の高いスラリとした女優さん.でも何の因果でターなんて映画を撮ったのか。ターという響きにはどこか独裁者的なtyrantとに似た響きがあるがある。暴君 君主という意味らしい。ターは女性ながら初のベルリンフィルのコンサートマスターの地位を得て天才指揮者の名声をほしいままにしていた。指揮者が女性であるということは、未だかつてなかったことだったので、彼女がいかに凄いのかということを示しているのである。
女でも頑張ればできるということか、彼女の生活はどこか隙間風だらけの柱の長さがチグハグになった建物のように見えてならない。
いつも男言葉を使いサバサバとしてはいるが、女は女だ.男の真似をする彼女に何だか疲れと虚無感を感じるのはわたしだけだろうか。私としては吹替版の方がわかりやすいのではと思う.字幕ではわかりずらいものがある。字幕は全てが男言葉でガツガツしていてキツかった。
彼女リディアは、女性だが、公然と女性と結婚し、幼女に、パパと呼ばせている.「パパ、きれいだよ」という小さな女の子.リディアは、しかし体は女性であるだろう.いつも黒いスーツに身をつつんでスマートな身のこなし.ランニングも欠かさないし、ボクシングの様な訓練もしている。全てにおいて隙もなく完璧過ぎる生活を維持している.指揮者としてのモチベも実力も誰も追いつけないところまで到達していた。
芸術論を得々と語り歴代の有名な指揮者らとも親交がある彼女は自分は凡庸な俗人ではないと言う高過ぎるプライドが感じられた。
ただ、ジョーカーを見てからは、ブランシェットの癖がどうも気になる.しかしコレはきっと監督のイケズのせいであろう。バタバタと長い足や、肉つきの少ない細い顔には感情も見えない。
仕事も何かしらハードなものであり、特にマーラーの第五番のという大きな曲の重圧と闘っていた。新しい作曲も今ひとつ行き詰まっていた.マネージャーの女がピアノで修正すると見違えて良い曲になる。
気に食わない人間には徹底的に冷酷な仕打ちをしてきたリディアにはほぼ味方もおらず、遂に指揮者の座を追われる羽目になる。部下や学生をいじめていたことが次第に浮上してきたのだ。彼女の地位や立場は半分は奪われた状態であった。あとの半分は彼女自身の心の内部の問題であった。
問題なのは、彼女が何か精神を病んだ人間の様に見知らぬ世界へとおびきだされてゆくさまだ。いわゆる幻聴幻覚的な状態が彼女を襲うようになる。それはいつも彼女の望む望まないに関わらず、不意にやって来るのだった。棚のメトロノームが突然に動きだして飛び起きたり、大切な記録ノートを失くして途方に暮れたりと、次々と不気味で不吉なことが起こりはじめる。嫌なことを振り切ろうとおもい、黒いレオタードに全身を包んで街を駆け抜けるリディアの姿がどこかヨタヨタと何とも哀れに描かれてゆく。
この映画わからない場面が多かったように思うがそう言う性格の監督らしくて今更と言うことである.過去の「エイビエイター」でもわざとおもしろくないようになさっているというかんじの監督であったので。
遂には破滅的な事が起こる日が来た。マーラーの第五を彼女に替わって指揮をしていた男性の指揮者に襲いかかり、いやこれも演奏中の舞台の上のことであったので多くの観客が見守る中で起こったことであった。お前の様な無能な奴に指揮はさせないぞと狂ったように襲いかかるルリディア。倒れた男におい被さり更にに暴力を振るう彼女であった。これこそ前代未聞の出来事であった!コレには、あっと驚く。遂にやってしまったのだった。
その後の彼女は紆余曲折を経ながらも己の人生を見直してゆく旅に出るのだった。
何とも怖い話で、何故か辻褄も分からずいびつなままで最後まで見てしまう事になる。なんだこの映画?
しかしストイックに演じるブランシェットの気魄は価値のあるものだといえる何かがあった。
一握りの勇気をこの映画から頂いたともいえる。
