このとき作者は 81歳と言うから、現在は90歳を超えたのだろう.めでたい事だ。
文学を担ってこの年まで来る途中、かなり彼はトップの方に位置していて、文学賞の審査員などもやっていたと言う.そのトップの位置を長らく保持し続けたそのエネルギーとは如何なるものだったのかと、ふっと彼の長い作家人生に思いを馳せてしまう.彼は結構明け透けな様子もみせるが決して本心は見せないと言う気がする.彼は日本において何処か冷めたところのある中堅処といった作家であろう、中堅などと言っては失礼なのかもしれないが、彼がエッセイを書き始めた頃から時々読むようになった。的確な文章は明確で分かりやすく信頼がおける気がするのだ.ヤクザな文学界で、ずっとやってきたのであるから、そこはすごいのではないかと思う。
老人は時間を持て余しているゆえに、有効に活用して習い事も仕事もこなしたいと思うのだ。まだまだこの体も頭もは使えるし、じっとしていたら認知症とやらになってしまうからと自分に言い聞かせてみる。
やたら計算速い老人は、死ぬまでにいくらかかるかをほぼ正確に計算しようとする.自分はで冴えたクールガイだと自認する。だからと言って認知症にならないと言うこともないのだが。
多くの老人はやはり、掃き溜めのゴミのように掃き寄せられて行く.家族から見捨てられるのはやはり辛いものがあるだろう。お金があっても高級リゾートのような?介護施設に入った後はほったらかされたままだ。彼らは、ボーっとしていて生きていてもしょうがないのに、と思うらしい。虚しく生きるに絶望している人もいる.医療も進み、否が応でも生かされている人もおおい。人生100歳時代に突入している現代は
能力があると感じている老人は起業までする人もいるが実はこれらの成功例はほんの僅かである。
皆いかにも生き生きといきているように謳われてはいるが、現実の老人は突然に具合が悪くなったり、目が悪い耳が遠い、皮膚がおかしい、、足が痛いなど、身体は勝手に正反対に進み出す。コレを五木は第二の人生とも呼ぶ。人はいつまで経っても穏やかにのんびりと生きてゆくことのできない生き物なのであろうか。