諦めのうちに人生をいなそうとしている私にも、しばしば、夜眠れなくて、辛すぎる日がある。そんな時にはまたしても中原中也のの詩にお世話になるのだ。かわいい息子文也が2歳で他界した哀しみを死に託す中也。流石に本当は詩にもしたくなかったであろう心境であっただろうが。
愛するものが死んだときには自殺しなきゃあなりません、なんて、きつい言葉を投げかける歌である。
でも彼はどこかで冷静である。世間批判をちょっぴりやって、自分の人生なんて、イカばかりなものかと、諦めに身を委ねようとしている。しかし自分の才能を彼は信じているようだーそれは一種の信仰の様なものだー彼はそれ一本によって生きてきたのであるし、それの性質もよく知っているのだし、まず信頼しているのだが、それにしても苦しみは収まらず薄まらずで、自暴自棄になるところをプライドと意地で堪えているのだ。
世間の人は、この世の荒波にも耐えているではないか。子供を失った親も沢山いるだろう。自分だってその1人だ。彼らは、公私の災難さえ乗り越えてまた頭をもたげて、生きているではないか。と、周囲を見回している。彼はキリスト教の家に生まれたが、本来の天才によって、多くの書物も読んできて教養も積んできたであろう。片道通行の視野ではなく、今こそ視野を広げて、それを利用すべき時でもであったのだ。まず自分を救わねば、他人を救うと言う自分の文学への道は閉ざされてしまうと、おもったのだろう。
冷静なところも、詩の中に見せて、我々を安心させている。子供は死んでしまったが、俺はおれで生きてゆこうと思ってるーと言っているのだ。
男ばかりの兄弟を持つ中也は、医者の家の確か長男だった。地元の中学を退学になってから、 京都や東京に出て定職にもつかず、大学に入ったり辞めたりぶらぶらしている中也を母親は心配する。しかし中也は、「僕は一番の親不孝に見えるだろうけど、本当は一番の親孝行息子なんですよ、お母さん」と母親に言ったと言う話が伝わっている。
多分中也のことをただの文学崩れだとか、学歴が浅いとか、何とか文句をつけて、こき下ろす人は幾人ももいたとおもえる。彼らのことは無視して進むしかなかった。
私にしても世間知というものがまるで欠けていて、何処か、子供の様でもあり、円満に歳を重ねたとは言えない人間だーこの歳なら、もう少し大人のおばさんぽく落ち着いていてもいいものを、なぜこうもせかせかと、思いつきだけで動き回って後でいつも後悔する羽目になるのか。
これが、狂気というものか。遺伝的人格障害と言うものか。どうでも良いが、何とか今日や明日が無事に済みますように。