それは私が4歳ぐらいの時であったが、白くきれいにけずった木が何本も建てられて組み合わされていく。
大工さん達はもう高すぎて見えないほどだ。中也の好きな詩に、ああ家が建つ家が建つ、僕の家ではないけれど、というのがあって、春の空の下に、建つ家が見えるような良い詩であったが。今の家は、重機が作るようなので、このような風情はないのでしょうね。
隣では、大きなセメントの建物も建っていたーコレは珍しく美しいながめだった。
喜んで飛び上がって、駆けって見に行った。都会のビルのようなハイカラな建物。この辺りに吹く風さえも、都会の風のように軽やかに舞っていたように記憶している。
それはみんな子供の時の記憶、束縛を受けていない時期の自由な思考。
あれらは皆、ただの夢だったのかもしれないー美しい夢。私が取得出来なかった物たち。建物にしても何にしても、結局は自分のものは何もないー何処からかある日やって来たものたちばかりなのだから。
空に浮かぶ天蓋のように、それらは私の記憶に中にあるばかり。
時間を飛び越して、時間を超えて、現在過去へと心は縦横に進んで行く。過去の時間も私に取っては、リアルと同じぐらい大切なものだ。
恐ろしい退行が起こるかもしれないし、過去に行くっていうのは 死んだ人々に会いに行くような意味でもある。
青い鳥の冒険のような。心の中では、時間は常に混在しているというのが本当だと思う。