今世界はどんどん 進んでゆくばかりで、止まることもないさそうだ。 一方では老人がどんどん増えていくという問題。何となく怖くなるのだが、作者は、この本の中で、年老いたときに、どの様に生きてゆくのが良いかと言うもんだいを書いている。多くの項目があり、いちいち覚えていないが、人間関係についての注意が一番もっともらしいと思ったー信頼性のある理由は、彼の実際の経験からでたものであろうからだ。
この内容を、彼は他の著作でも何度も繰り返して書いている。よほど、みにしみたのであろう。
ニューヨークで医学を学んだり教えて、研究に励み4人の子もアメリカで育てた。しかし、どうしても日本への望郷の念が強く彼を押す様になった。外国で成功するには、早くその国に馴染み母国のことは忘れるのが良いとされる。母国が、そんなに簡単に忘れられるものだろうか?--.その頃、日本の友人たちの子供はすでにアメリカの大学に通っていた。全てがアメリカナイズされていく。これが成功の元になるとは分かっていたが、日本人の自分を彼は忘れられなかった。
と、作者はいっている。家族で、日本に立ち返った。ーここでドストエフスキーが出てくるが、、望郷という作品があるらしい。
世の中で、嫉妬されると、「つまらないこと」でも相手は、総力を上げて襲い来る。人生を潰されるまでと言う例を幾つも見てきたという。相手は総力を上げてやっつけに来るーという事は最初は、関係ないように見えるほころびが実は仕組まれた計画であったりするわけだ。他人が、何か自分にアクションを起こしたときは、まずそこに、陰湿な嫉妬とかが含まれていないかということをよく観察するというーだが、本当にずるい人は上手に、気取られないようにカモフラージュすることに慣れている。そんなに簡単には見破れない。ー特に最近は、うまくできていて、何重にも連携されている。
ケンカは「些細なこと」であっても、または、相手とは「職種も立場も違って」いても、コツコツ努力したり がんばっていると、その姿がまた憎まれて赦されず、怒った相手に何をしても許されずに潰されるという例があったという。これは、全くその通りだと思う。 作者は日本に帰国してみると、理由もなく散々な目に遭わされて、うつ病も併発した。
思えば、彼らの嫉妬はものすごいもので、1人の人間を死に至らしめるまでの仕打ちであったと、思い出している。反省して努力すればするほど、彼らの締め付けも強くなっていった。
医学とは専門違いの「禅の研究」に没頭し、何とか自分を蘇らせたいと切望する日々が続いたという。凄まじいまでの日本人での嫉妬とイジメは、彼ばかりではなく周囲の研究者らで、同じ目に遭った人たちをいく人も見てきたという。象牙の塔の暮らしも、いいことばっかないんですね。見た目は麗しそうに見えるのですが。
教授自ら指揮棒を振る主犯格であり、教養とやらは、無関係なものらしい。主犯格と言っても、実際には本当のことは何も分からないようにされているのだが。
相手は総力戦、総力戦とは、たとえば、あらゆる職種の生活に関わる人々から嫌がらせを受けるであろうということだ。何処でもかしこでも、貴方に関わる人々が全て豹変するということを意味する。被害者本人にわからない様に渡り合い、標的を粉々になるまでに倒すのだという。ナゼなのかは分からない。
ナゼとか、やめてとかは、全く通じない、一方通行のみの冷酷な仕打ちを受けるのだ。
だから相手を怒らせてしまう様な喧嘩や議論をしてはまずい、のだと主張する。どんな予想外の仕返しをされるかもしれないからだ。だが、そんな相手とも、適当に付き合ってみる。敵意をむき出しになどせずに。年取ってからは、有名になっても病気を患っていたり、金持ちなっても悪趣味でと言われたりするぐらいがちょうどいいのだそうだ。 静かに目立たぬように気をつけて、喧嘩もせず、出る杭にならぬよう生活して行くことが貴方の幸せになるだろうと言う。彼は自分はとてもエキセントリックな性格で、いわゆる、アスペルガー的とでも言おうか、それで自分自身の性格について多く悩んできたそうだ。所謂、狂人のような、という表現も使っている。しかしこの狂人性が無かったら、牙や爪のない虎といった風で、今日のように本を書いたり、公演をしたりはできなかったであろうー温厚な性格の友人たちは人に好かれてそれなりの難のない生活をしているが、飛び抜けた活躍はしていないようだ。おかしな性格の自分であったからこのようなことができたのかもしれないと思いだしていっている。まだまだ現役なのかもしれないが。
章が多いので、はじめはさらっと読み飛ばしてもいいだろう。