松嶋菜々子の司会で進行する番組。いまではMCと言うのか。
ところで今回は、あの苦手な三島由紀夫についてである。この人は妻子もあったのだが、芸術家らしく、家族など顧みずに、非常に薄っぺらな理屈から天皇を持ち上げて自決した人だ。
1970年 11月25日(水曜日』の出来事。
あまりにも突飛な彼の行動に、日本の人々は揺れた。
高度成長の最中に、時代錯誤とも思えるような言葉を連呼する彼のことをどう理解するべきか、どう位置付けるべきか、多くの人々が考えあぐみ、悩んだのだ。
この世には様々な人間がいて、やはり理解できない心の持ち主がいるものだ。
だが人には、他人を傷つけまいと、ズケズケと踏み込むことをためらう気持ちがある。
だがノーベル賞に最も近かった三島由紀夫については、誰もが、足を止め思考を止めてうつむくしかない。
彼は人間の思考や行動を止めてしまったとも言える人だ。
東大全共闘の集会に現れて、天皇及び日本国について演説もした。
発表の時、三島はわざわざタイに渡航していて日本にはいなかった。タイにおいても日本国の天皇について弁論をかましていた。発表を待つ間に気が立っていたのだろうか。念が入っている気がする
三島に詳しいある作家は、戦争に行かず、生きのこった自分に大きな後悔と傷を持ってしまったといっている。
だからといって、天皇制復活の演説を現代人が他人に演説をおこなうものだろうか。
最も近くにいた新聞記者は、ノーベル賞を貰っていたら、彼は死を選ばなかっただろう。
だが、実に、心もとなく、自分だけに聞こえるような声であった。
それを言うことは、精神的にに躊躇する事だった。はっきりというべきでない物事。
もはや、スッポコにはなぜか怒りしか感じられない。
人間はある程度の期間ウソをつき続けることはできるだろう。しかしウソはドンドン自分をくいつぶしてゆくことになる。
もはや家族の方が彼の仮面をば、とり去ってくれるのを待つしかなかろう。
彼は意外と平凡な男だったような気がする。
彼の著作はいろいろあるが、どの文章もとても上手く書かれていておもしろい。だが、どの主人公も器用に生きているようで、なぜか人生を踏み外してしまう。だがそれが、彼自身だとは言えるものではない。
だが、50年たった今も日本人として彼のボロボロになった遺骸を、担いで歩き続けている気がする。