スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

三島由紀夫Vs 東大全共闘  50年目の真実 /1969年の実録

東大全共闘の長たちが、強敵三島由紀夫に立ち向かう。

折しも来年はエクスポ70が始まろうとするその前年であるー世の中は開けて、より国際化へと進んで行くところであった。

 

一方、大学とか、国家に何かしらの不安を抱く大学生が集まって、なにが不満なのかは知らないが、

政治に目覚めてしまった知的エリート集団が国と大学を相手に暴力を持って革命を起こした。大きな炎となったその力は他の大学をも巻き込みデモが繰り返され、東大も、建物がバリケード化されて学校の様相は無くなっていた。

そこで、駒場900番教室に1000人の全共闘学生を集め、代表が、三島由紀夫を呼んで対談を実現させた。1000人のエリート学生さんと一人の三島ー三島は東大法科の先輩でもあったが、不思議な事に

初めから、学生らは、極右の三島をそれ程、問題視してはいないように見えた。予想とまるっきり違い、ヤジなども飛ばず烈しい論争などなく、学生議長は冷静な人物であり、マイクを握って質問する学生も核心をつくような烈しい意見は言わなかった、というよりマイクの音が、拾われておらず、ガラスの向こうで喋っている様なくぐもった音声であった。

一方、三島の声ははっきりと聞き取れるのだった。この様な不公平な事が企画さていたということだろうか。

 

暴力についての論争になったが、お互い言っていることが焦点が合わず、虚無的でもどかしい応答になった。三島は時間がたっても平気であった。テレビの撮影がうまくいけばそれで良いんだよ。

 

どんな質問がなされたところで、「社会的問題」と、「三島の個人的問題」がおかしな形で絡みあっている以上は、的確な質問も、明確な回答も得られるはずはない。学生側の質問が、はっきり聞き取れないことが始終してテレビ局の陰謀だったとも思える。

最初から三島が、主役であり、コレは、「三島劇場」という段取りで企画されたものだったのではないのか。

今から見ても、先端を行っている様な学生も出ていて真っ赤なチェックのパンツ(ズボン)をはき、赤ん坊を抱っこしていた。

鉄砲に蝶といった図であった。

 

東大生に突っ込まれて、苦笑いー突っ込むと言っても特別、三島の訳ありの核心をつくわけでもない。こういう場が設けられたのだから、右翼の肩を突くぐらいのことはやって欲しかった。

 

対抗して三島は、この講堂においても、自分の命をかける、つまり死ぬ覚悟とかいう言葉をポロリといっていた様に思う。別の場所であったかもしれぬが。

一向に、喧嘩にもならず、始終三島が話をはぐらかすので、観念論に始終してしまい、無意味な討論となってしまったのは、残念である。

 

その中で、ある学生が、「三島さんは小説家として執筆が本分であろう、そしてその部門で大きな成功を納めておられる。

なぜ今更、天皇を持ち出して革命を実行に移すという行動が必要なのか。執筆だけに専念はできないのか。

そこがあなたの人生が完結する場所ではないのか。」と言った。

それにも上手く答えを言わずおかしなことをうわずっている三島であった。

 

現在では皆すでに70才を超えた当時の全共闘の学生たちが、実際に出演して一言コメントしている。

あの時の議長、学生の論客たちは、どの様に思い感じたのか。当たり前、怒っていた人もいた。

 

ただ作家、または三島研究家の平野だけは、三島を庇うー戦争というものが彼を蝕んだと。だが、彼は、本物の戦争体験すらせず、自衛隊入団を繰り返すのみであった。戦争に関するトラウマ?狂人の戯言だろう。

 

三島の生家の宗教は?  またそれを大切に守ろうとしてきた人は?いたのだろうか。

彼が、破滅へと向かったのには、彼を後ろで支える宗教観、守るべき家の存在の薄さがあったのではなかろうか。家なんて、笑止、古い考え方に見えるだろうが、破滅が迫る時、人を支えてくれるのは結局そんなところだと思う。

 

50年過ぎても、彼との論争に、関わった人々は未だに三島の不思議を考察中であるという。