何を知ろうとして読むのか。そうだね。川端康成がノーベル賞を取った一年も前より、森田必勝らを含む100人の青年の民間兵士団を結成していたのだ。なんと準備が良いことだろう。もし、自分が負けた時は、すぐにでも決起ができる様にか。
全共闘は警察らによってあっという間に片付けられて、三島達は出る幕もなしだった。
自衛隊の試験入団したりと色々な変わった行動をとる様になっていた。
これでもかと膨らんだ腕や足の筋肉が三島の顔と釣り合わない様に見える。
総監を縛り監禁した。人質である。
自衛隊部隊は侵入者に対して発砲しても良い権限さえ持っていたのにだ。
総監は、青年らから屈辱を受けて、精神的にも傷を負った。事件後、責任を取った。まだ59歳、早くに亡くなった。この総監を庇った自衛官は肩を切られた。
結局警察がパトカーを連ねてやってきた。何か恐ろしい事件だと皆が直感し、思った。
そして、あの有名な拳を振り上げた演説をみていた人達がいた。
ベランダの上にそそりたっている彼。だれも三島に手が届かず下からもどかしく見ている。
お降りてこーい、とのヤジを無視する三島由紀夫。
自衛隊の反応は鈍く、三島は切り上げて建物の中に入り森田らと自決した。
首は飛び、体と1メートル以上離れていた。腹は深く切られ、軍刀は床に折れていた。
首は無理やり切り取られたのか、ジグザグの切り口が付いていた。血でぬかるんだ床。
異様な苦しみの形相であったという。あまりの惨状に警察も、自衛隊も息を呑んだ。
誰かが勇気を出して目を閉じさせたらしい。
ただ、東京都知事の石原は、三島の死ぬ前の写真を見て、あの様に無心で清らかな美しい顔は見た事がない、と言った。アホかいなあ。
警察の一番偉い人、檄文を受け取った新聞記者、もう一人の檄文をもらった人など三人も、同じ様なことばかり言っている。踏み込んだ事が言えない立場だったのだろう。
中には三島の不穏な動きに気が付きながらも止められなかったと、悔しがる人もいた。
事件後すぐに駆けつけた川端も、この二年後に自死した。
現在は薔薇のトゲに囲まれた「聖セバスチャンの殉教」写真、腹部に矢を受けている。
自作自演の映画「憂国」などの、三島の著作権を持つものを守ろうとしているのは、三島の息子ら親族である。