最近三島没後50年として、復活気味の三島である。
有名人が出て、それぞれの三島像を語る番組だが、やはり、これも釈然としないものだった。
宮本亜門、テルマエロマエの作者、テリー杉本、三島記念館館長、アナウンサー、平野、などである。
つまんない事を話していた。
寂聴は、ノーベル賞の時、折り鶴のおじさん(川端康成)の元に駆けつけた一人だ。もちろん三島もそこに駆けつけている。腕にお土産を持ち、失礼のないように、満面の笑顔で祝福している。
辛い映像である。その後三島を追い込んだのは自分んではなかったか、と、折り鶴のおじさんは考えたのかもしれない。あの日本中を震撼とさせた、三島自決事件。
三島と交友のあった三輪明宏も、一言言っていた。子供っぽい彼の一面。
ノーベル賞とは、ダイナマイトという恐ろしい武器を開発した罪滅ぼしとして作ったものだ。賞など、たとえやると言っても私はいらないわと、美輪は思っていたそうだが、三島は、そうは思わなかったらしいと。ただ本心は言わない美輪であった。彼は天才だからと。
最後の章では、 まず一橋大の学生らとまみえて話した。小説を書くということは、自己と社会との格闘が、まずあるのだ。その社会から認められるものを書くということもだから、矛盾を孕んだものである。と納得のある事を言っている。
次は東大全共闘らを前に、話をしに行く三島。。千人以上の学生が、二階にまでギッシリと集まっていた。三島は、諸君!と言っただろう。日本国は、憲法は、戦力が、天皇が、という三島を、学生たちは、どう思って見たことだろう。
英雄という文字は、彼の小説に、時々出てきていた言葉である。
人間の人生は虚飾に満ち満ちている。それは悲しく、欲しがりの無い物ねだりの繰り返しである。
誰であれ、そんなことだから、彼のことに、自分の心の中を透かして見られたようなバツの悪さを感じるところである。