スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

十訓抄 作者不明 鎌倉時代初期

今昔物語、宇治拾遺集に比べると、少し著名度が少ない十訓抄だが、読んで見ると、まあまあ、と言うところだ。

永積安明の、編集物があるが、惜しいことに、現代語訳が付いておらず、読むのが困難であるため、すぐに諦めて、現代語訳が、バッチリ付いた小学館の古典全集から取って読んだ。

 

色々なお話が載っているのだが、皆が辛抱して、宮使えをしている姿がみえる。

 

平清盛が、人を使うのがとても上手く、どんな小さな役の者も、清盛さま、清盛さまと言って慕ったとある。

また気に入らぬことがあっても、素知らぬ顔で平気を装うことができた、とある。

 

世の中、気に入らぬことばかりである。それを耐えて行くことが大切であると言っているのだ。

これは、現実の自分ばかりが、損な役回りでと嘆く前に、昔から多くの人が、同じように耐えてきたのかと思えば、何かほっと、安心するわたしである。

 

烏帽子を、意地悪い奴に投げ飛ばされた宮の役人は、その屈辱に耐えて、最後は出世したとある。

どんなにひどく謗られ、ひどい扱いを受けようとも、神仏を信じて耐えよというのであるが、スッポコもこれには賛成である。

 

また、実直すぎる役人がいて、人に悪口を言われて、色々苦労するが、とうとう、人徳の人と言われるようになる。同僚の死にも立派な配慮をしておくりだす。

新築の家に移った時に、小さな火種が、急に大きな炎となって、家が燃えた。

燃えるのを止めようともしないので、後で聞くと、「この火種は何か意味があってのことだろう。

自分の家一軒が焼けただけで、おさまってくれてほんとうによかったよ。」と言った。

昔の人は 色々なモノノケについて謙虚に受け止め、おろそかにしなかったのだ。

のぼせあがった現代人も少し見習うべきだろう。

 

だが、宇治拾遺集とか、また読み直して見たりすると、生き生きとして、はっきりとした情景がうかんでくる。

十訓抄はやはり少し劣った作品ではないかとおもわれる。

私としては、今昔物語の、第2巻にある、もにすごく信心深いお話などが面白く思われる。

その極端さが神々しく、面白みがあるような気がする。

霊異記の話も日常の卑近な例に即した面白い話が教訓的に書いてあって、親しみが湧くのである。

ほんの少しのお金を払わなかっただけで、牛に生まれてしまう人間の話があるが、やはり払うべきお金を払わない人にロクなことはないという気がする。こんな人が、実際に周囲にいるから面白いと感じる。

 

 

新編日本古典文学全集 (51) 十訓抄

新編日本古典文学全集 (51) 十訓抄