スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

「だから、生きる。」 つんく 2015年

記憶にも新しいが、衝撃的なことに、声を失ってしまった「つんく」は、壮絶な体験を告白して、一度死に、そして新しい自己として再生したのだった。

誰しもそう願っている。

だが、それだって、彼の幸運があったから奇跡的に助かったのである。

 

売れだしてからの、彼の生活は乱れに乱れて、昼夜逆転が続く。そして、眠ろうとしても目が冴えるようになって、眠れず、薬の世話になる。

サプリの飲み過ぎもあった。超多忙なスケジュールに合わせるために、常にに点滴を打って体に鞭を打ち続けた。

というのも、モーニング娘。のプロデゥースや、テレビ、本などあらゆる芸能関係が彼を求めて引っ張ったからだった。

彼は芸能会社の社長として責任を果たそうと男らしく頑張っていたのだった。

そのツケがきたというべきか、恐ろしい裁決が、彼にくだされたのだった。

忙しすぎる生活は、結局は、自分を破壊してゆくことになると、今更ながら警告している。

若さもあったし、仕事はもうメチャクチャに忙しい。

そうして体の警告を無視し続けた彼であった。

 

医者もがんであることを見逃していた。こんなアンラッキーなことも重なって、重症化していった。

声が出ず、呼吸もできないと言った喉の腫れは、ただのデキモノではなかった。声も命をも奪う恐ろしいやつだったのだ。

 

 

結婚した妻は、結局彼のために、人生を捧げた。スッポコから見ればまあ、生贄のようなものだと思えた。

1人の女がこんなに男に尽くすなんて。

子供も3人できた「つんく」は、闘病を、家族のお陰で、歯を食いしばって乗り越えていくことができた。

喉仏を中心に25センチも首を切る手術であった。

生きているのが不思議であると思う。

頭は重量が重く、起き上がるだけで、重労働となったそうだ。

 

彼は退院後、近畿大の卒業生として、入学式のプロデュースを頼まれた。

声を持たない人間の入学式の挨拶であった。

 

彼は、一番大切に思っていた「声」というものを捨てたのだった。

生きるためだった。

せめて家族だけは、自分が守る。そう思うことで、彼は生き延びることができた。

彼が生きる意味は、あったのだろう。

スッポコは実は全く「つんく」のファンではないので、申し訳ないが、また彼が大学を出ていたなんてことも驚いたのであるが、なんとなくチャラい感じだと見ていた。

 

 

今回の、池江璃花子のこともあり、何が大切かを問う大きな難関を背負ってしまった若い彼女に、

つんくとしても、何か、感じたことだろうし、スッポコも、彼女が治って、別の人生を歩むことに

なっても、それはとても素晴らしいことであるとおもう。満身創痍で戦ってきた彼女に対して、何をか言おうとする大臣や大人は、どこかに消えて欲しい。

 

 

「だから、生きる。」 (新潮文庫)

「だから、生きる。」 (新潮文庫)