パウロとは、昔サウロと呼ばれ、伝統的なユダヤ教を信じていた。イエスキリストが現れ、今までの規律を破るような新しい神の理を説いて行ったので、パウロは怒り心頭に発し、イエスを信じる教派の人々を厳しく弾圧し続けていた。
ある奇跡がパウロの身に起こりそれ故に、イエスを信じるようになったパウロだった。
イエスっていつ出て来たのか、ほぼ見逃した。
彼は布教に30年以上勤め教団の形が徐々に出来上がって来ていた。それは、愛と赦しを持った布教であった。
そこに、ローマの皇帝ネロが市街に火を放ち、半分が燃えた。その罪を国はパウロに被せて、牢獄に打ち込む。死刑囚となったパウロ。そこでも、彼は信心を全うしようと日々祈っていた。
この監獄を任されている総督の娘が、重篤な病に伏せり、色々な医者にも見せ、ローマの神に貢ぎ物を捧げる毎日であった。
愛する娘は死んでしまうのか。その時、総督は、パウロや、その弟子のルカの噂をを聞く。彼らは病気を治す魔法使いだと。
常に、困っている人々を助けているとも聞いた。
牢獄の中では、特別な赦しをもらい、ちょうどルカが、パウロの言葉を筆記しているところであった。
弱さ、弱いことが良い事だと述べるパウロだった。彼に言わせれば、弱いものが強いのである。
総督は、彼らに、娘を治すように命じる。ルカはうなずき、
手厚い治療で、娘は元気になる。喜ぶ総督夫婦。 いやホンマでっか。
総督の住んでいる監獄の辺の庭は美しい白い石造りで独特の木が植えられていた。あー美しい庭だなと思った。総督はパウロを連れて
そぞろ歩いた。だからといって、パウロの死刑は変わらないものだった。天国のような美しい庭とは全く対照的なパウロの身の上であった。
パウロは死刑場に引かれて行き、刑に処された。
天国に上がったパウロは、、昔彼が虐待していた人々と対面する。彼らは笑顔でパウロを迎えたのであった。
奇跡を行わずとも神を信じる人は幸いであると、説いていたイエス。奇跡は常に付随的なものであったはずだ。
この映画は何を求め、どこに行こうとしているのか不明であった。不明だと言うのは言い過ぎかもしれないが、壮大な題名に見合った思想でもいいから、欲しかった。