スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

帝銀事件死刑囚  熊井啓監督  1964年

戦後のドサクサの時、まだGHQが、日本を牛耳っていた頃の事件1948年、昭和23年ごろ、東京の帝銀銀行で10数人が毒殺された、大事件があった。大事件というより、謎に包まれた事件という意味もあった。

絵書きであった平沢という男性が、犯人に似ているということで、小樽でつかまったのだが。

アメリカ軍の命令で、赤痢の予防薬を飲んでと工員達に飲ませた男は、誰だったのか?

白黒の映画であるが、謎の多い事件であったし、犯人自体も、大いに強要されて、犯人だと自供した、という事も謎の一つであった。

生き残った二、三人の銀行員達が、この男に間違いないと証言した。

毒薬の入手やなどは今一つ不明であやふやだった。

 

新聞記者達は、駆けずり回って、真相を掴もうと、必死になっていたのだが、何度かの裁判で、

ついに、死刑が確定し、申し渡されたのだった。

 

この人は、本当の犯人だったのだろうかーそんなことがふと心をよぎる事件であった。

その後、家族は離散し、娘は、外国に逃れた。報道陣に付き纏われる毎日にも疲れ果て、妻は、夫の無実を信じると公言していた。

平沢死刑囚は、別の監獄に送られ、95さいのてんじゅをまっとうしたという。

多分何百人もの人々が、この事件に関わり調査し、考えを巡らせたのだが、遂に、真実に辿り着くことができない烏合の衆のような有様であった。GHQの、圧力もあり、毒薬の出どころは、不明となった。