戦後のドサクサの時、まだGHQが、日本を牛耳っていた頃の事件1948年、昭和23年ごろ、東京の帝銀銀行で10数人が毒殺された、大事件があった。大事件というより、謎に包まれた事件という意味もあった。
絵書きであった平沢という男性が、犯人に似ているということで、小樽でつかまったのだが。
アメリカ軍の命令で、赤痢の予防薬を飲んでと工員達に飲ませた男は、誰だったのか?
白黒の映画であるが、謎の多い事件であったし、犯人自体も、大いに強要されて、犯人だと自供した、という事も謎の一つであった。
生き残った二、三人の銀行員達が、この男に間違いないと証言した。
毒薬の入手やなどは今一つ不明であやふやだった。
新聞記者達は、駆けずり回って、真相を掴もうと、必死になっていたのだが、何度かの裁判で、
ついに、死刑が確定し、申し渡されたのだった。
この人は、本当の犯人だったのだろうかーそんなことがふと心をよぎる事件であった。
その後、家族は離散し、娘は、外国に逃れた。報道陣に付き纏われる毎日にも疲れ果て、妻は、夫の無実を信じると公言していた。
平沢死刑囚は、別の監獄に送られ、95さいのてんじゅをまっとうしたという。
多分何百人もの人々が、この事件に関わり調査し、考えを巡らせたのだが、遂に、真実に辿り着くことができない烏合の衆のような有様であった。GHQの、圧力もあり、毒薬の出どころは、不明となった。