スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

黒部の太陽  熊井啓監督  1968年   石原裕次郎   三船敏郎  他

1956年ごろから着想があった黒部第四ダム、1000万人の人々が関わった大きな工事であった。

今までにも2、3百人の工事人が事故で亡くなっていた。

黒部は関西電力水力発電所である。

山師のような気の違ったおっさんが舞い降りて来て、ダムダムと騒ぐ。教養も何もない、ただ感だけが妙に冴えているという自信に満ちていた。

それには恐ろしい岩石だらけの山を突き抜けるトンネル堀が必須であった。水の力は大きく、岩はかたそうであったが、地質も定かではなかった。間違えれば、多くの工事人が死ぬのである。、この山師のオッサンは、裕次郎の父で過去の工事でも兄にダイナマイトをやらせて死なせていた。

だが正気を失ったこのおっさんの迫力に誰もが押されて行くのだった。

わしや、人がどうなってもいいんじゃ、とにかく掘るんじゃ、造るんじゃあ!

何度もやり直せる工事ではない。山の中を走る水脈が1番の難関であった。地質学者も参加して止めたりするが、熱意に負けて掘ることになる。

監督は石原裕次郎、補佐は三船敏郎、気狂い山師はいつも目を血ばせらせて、大声で叫んで走り回る。辰巳柳太郎かあ。

この俳優さんの名演技で、周囲との調和が乱れて、たくさんの名優達さえ霞む有様は行き過ぎであった。監督も止めようがなかったということだ。辰巳はこの3年後に亡くなっている。

結局反対側とこちら側のツルハシの音などが聞こえ始め、初めて貫通するのだった。

その途中も、天井落下、洪水の応酬など危険な事故が何度も起こるーが、誰も諦めないのだった。

激動の映画というわけだ。この熱量に皆さんついて行けるかな?

作られたのち、この映画は版権が凍結され、裕次郎は映画を発表できなかった。

数十年経って、やっと日の目を見た映画であったのだ。