スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

沈黙 2016年 マーティン スコセッシ監督

御年75歳の監督は、ますます円熟味が増した感じである。

遠藤周作の沈黙という小説は高校の教科書に載っていて人の気持ちの内側を読むというような作品であった。キリスト教徒の遠藤の作品なので、なんとなく説得力があるかなと思ったものだ。

 

しかし、だから何!と怒りが湧いてくる理解不能の小説でもあった。良い印象のないまま、映画を見た。

命がけでやってきた宣教師たちのはなしである。島原が舞台であり、幕府は異教を恐れて厳しい御法度をしいていた。であるなら、人々はキリスト教などに馴れ馴れしくしなくても良いものをと思う。

日本人にキリスト教のことがわかるのかなあ。

 

宣教師の長であるフェラーレ牧師は、拷問にあって、既に改宗してお寺に住んでいた。住むといっても見張られてはいたが。フェレイラ牧師には渋い顔のリーアムニーソンが当てられた。着物を着てお寺に身を預けられている設定。

 

やってきた二人の若い宣教師ロドリゴなども民衆と共に拷問にあい、幾人も死人が出た。

これでは信仰の自由もなく、切りのない拷問と死刑の繰り返ししかなかった。

ついに、

若いパードレのロドリゴは生き残り、日本人の妻を娶り静かに暮らすことになった。

そこまでたどり着くのに、どれ程の苦しみを味わったことか、彼は信者のためにコロンだということになっている。自分が改宗すれば、人々の命が助かったからでもあった。また信仰については、もう決して誰にも喋らないと固く決めていたようだ。彼の心に、神が宿った瞬間であった。

信者役の窪塚洋介は、軽々と宣教師をだまし、踏み絵もさっさと済ませて、行方をくらます。ひどい役である。しかし最後に棺桶の中でパードレの握ってい十字架は、たしか窪塚の持っていたものだったのだ。

 

まあ、理由はともかく何かしら胡散臭い話である。

今までもスコセッシ監督の作品には疑問を持ってきたスッポコである。

だが今回は、上手く綺麗にしあがっている。彼はニッポンを理解しようとしてくれた外国人のようにみえる。

日本はキリスト教を拒んだが、監督は、日本の俳優を上手に使いこなした。そこはすごいと思うが、

この小説自体が、焦点を持たないような、虚し過ぎる作品であるから、しかたがないのよ。

とにかく納得のいかないハチャメチャな作品ですよね。宗教的ないろいろな面をかんがえても、どうにもならない作品なのでは ないのでしょうか。

この作品をキチンと批評出来る人があれば、お目にかかりたいぐらいです。