丹羽文雄というのはどういう作家か、有名な人な人なので、名前は知っていたが、どのような作家かは知らないでいた。
ただ、私が生まれた時にすでに、30歳は超えていたと思う。だから私の親と同じぐらいの年であろう。
いや略歴を読み、1904年生まれで、この人は寂聴などの後輩を育てた。お寺の住職になる身であったが、文学へ進んだ。髪はテンパーであり、目の大きなどっしりした顔で、真面目くさっているのが、昔の人らしい。明治から平成まで生きて100歳を超えていたのはすごい。横顔が、うちの旦那に似ているので、コレは大変な癖のある人と見た。
寂聴の友人だったらしくこの「厭がらせの年齢」というのを読んで見た。
時は戦時中であった。80歳後半の老婆の話である。老婆はボケていて、孫たちの家を転々とたらい回しにされて生きていた。
今は疎開先の田舎の家に間借りして孫の幸子夫婦の世話になっている。
昼夜逆転で、夜になると急に目がさめるらしくガサガサと動くのがきみ悪く夫婦は困っている。
昼は死人のように眠っているのだ。
ただ客人が来るとパッチっと目を覚まし、かならずそろそろ出てきて顔を出してくる。
その老醜漂う顔を見た客人は、ギョッとするのだった。そして、下がってからは、大声で、「腹が減りました、なにも食べさせてもらってないから」と、叫び出すのである。
お客の前で恥をかく家人であった。戦時中の配給食糧で、こんな老人がいては、本当にやりきれないだろう。
家が留守になると、すぐに起きて人のタンスを開けては色々なものを物色し自分の部屋にもっていくので、油断も隙もできないのである。
これらは、アルツハイマーの老人の特徴である。
彼らには昼も夜もなく、時間や季節の感覚もない。
そうしてウメ女は迷惑をかけながら、延々と生きて行くのである。
自分の着物を裂く癖が始まってからは、あらゆる布を裂いてしまうのでボロをまとったすごいかっこうになっている。人の服や下着まで全て犠牲になってしまうので、ほとほと困り果てた家族であった。
田舎に疎開しているので、とても不便で買い物もまともに出来ないし、電気が来ていないので夜は真っ暗である。
このような時代の老人は、納屋のような部屋に、転がしてあって、糞尿にまみれて数年ほっておかれるケースもあったという。
事実現代でもそのようにされている老人がいるのも確かだ。世話するものは大変である。一人だと、体も心もまいってしまう。その点この小説には夫と妻と二人の大人がいるのだから、ましな方である。
昔も、現代も世話するものの大変さはあまり変わらない。昔はやはり家族が多く、誰かが、老人の世話をしていて、オムツを洗ったりしていたものだ。
アメリカの老人ホームのことが小説に出ていて、それが理想郷のように、書かれていた。過去日本ではホームに行く老人は身よりもなく金もないという証とされていた。
スッポコは老人になったら、何とかホームで世話されて死にたい。
だがそううまくいくとは限らない。がんばらなくっちゃ。
老人ホームとか、アルツハイマーとかの言葉の普及がまだなかった時期に、先見の明でこのような老人問題の小説を書くとは、丹羽だが非凡すぎたためか、、後年は逆に、彼自身がアルツハイマーになって、むすめを困らせたのであった。