武田邦彦は随分前から環境問題などについて多くの著書を書いてきた.ソレらの全てが良い出来栄えであったとは言えないが、今回の「老人のウソ」という本は、今までの集大成ではないかと思えるほど、力強く説得力もある作品となっている。年月をかけた研究、探索は信憑性が高く、彼の説を後押ししている。
老人のウソとは認知症でウソをつく自己有利の法則を遵守する老人のことではない。
武田は初めて誰もが納得するであろうような説を見せてくれた。
生物たちの、つまり動物の寿命は50年を超えるとほぼ事切れるのだが、人間だけは100歳ぐらいまでも生きているものもいる動物である、という.そしてなぜ人間だけがソレが可能なのかという理由が分かりやすく書かれている。人間50年とはよく言ったものだ.生物には、およそ50年で生物としての役目を果たし終えるため、個体は消滅するのが道理なのだが。にんげんには第二の人生が待っている。
この場合、時間などに縛られることなど無くなった第二の人生というものは、働き盛りの第一の人生とは全く違ったものである.本人は若い時と同じだと思い込もうとするが、本来、一度人生は終わっているのである。と、武田は説く。この神のような言葉には現実的すぎる残酷な面があるようだ。これを受け入れなくては、なにも始まらないのかもしれない.今で言う多様性と言う問題にも、これは当てはまるであろう。実に人生は過酷なものである.ポテポテ流れていくうちに、ある時突然に高い滝の上に来たようなものだ。実際に新しいgenerationが育つためには、老兵は去るのみというわけだ。自分たちは残りの抜け殻の人生を人々の為に尽くすと言った人生、寝たきりにならないように、動くことを主眼としてカルシウム流出を防ぐのがいいだろう。裏方に徹して、若いものたちをささえる微力になるのもよい。誰かのために動くということが結局は自らが粗大ゴミにならない秘訣だそうだ。
誰かのために生きることこそが、生命永らえる技である.男は退職して粗大ゴミ、女は家事で家族を支える.このように男と女では差が出てくるのである。もちろん他人のために動く女性の方が長生きである。
生物は生物としての役割を終わると死んでゆくのが自然の成り行きである。魚の鮭などは卵を産むとオスもメスも死のスイッチが入り死んでゆく.その体についた肉や微生物を食べて子供たちは育つ.オスとメスの死は決して無駄にはならない.個々の生よりも、種の保存という方がずっと大切なものである。
また兄弟喧嘩にも意味があって、皆同じ個体にならぬように天の采配が働いているという.同じ遺伝子や雌雄同一体とかであると、何か危険な病原体が襲ってきたときに全滅してしまうかもしれない。ソレを防いでいるという.無菌で育った生物は自然界では生きてゆけない。上手に毒も受け取ることがコツになるという。 なんでもかんでもホモサピエンスが滅ばぬようにとの仕掛けが色々あっったのである。
そして彼の真骨頂である「常識の嘘」として、老人の高血圧やら悪玉善玉と言われるコレステロールの話も出てくる。
武田邦彦をいつも疑っていたわたしもこの本の揺るぎない作者の意気込みにちょっとホロリとしたのだった。
