彼に関係があった人たちが出てきて、ああだった、こうだったと、変わり者の彼を偲ぶ。
彼は大正時代の作家である藤沢清造を敬愛しまた憧れていたーここまで愛された藤沢もビックリであろう。自分の墓まで無理やり彼の墓の横に押し込んで造った西村。
苦役列車では 自分の経験に基づいた個人的な作品であった。テレビで説明を聞いていてもとても胸を抉られるような話で、疲れきった私。父の性犯罪という事件から両親の離婚、母と街を出て、中卒で日雇で暮らす主人公ーコレも、実際の作者と重なるものだ。一人暮らしで生きてゆく彼、主人公の生活の苦しみが直に伝わってくるのがこわい。 母とも何故か大きく距離を置いてしまった彼は、どれほど孤独であったか計り知れない。だが、小説書くにはこの孤独が必要だったとも言えのでは無いだろうか。読者家であった彼を支えた人々も幾人かあった。
古本屋の親父や、編集者などだ。彼も、コレだと思うと熱中するタチであったという。
テレビでの解説では彼の本が色々な苦しみを抱えた若者たちの救いになったかもしれないという趣旨であったと思う。
藤沢も苦労を絵に描いたような男で、苦しみ抜いた生活のことが語られていた。コレに救われた西村も
彼に続いて同じ路線をとったのだろう。厳しい労働と貧乏で家賃も払えないような生活。西村の弁当はいつも日の丸弁当(ご飯と梅干)だったという。主人公の名前は北町貫太である。まるで作者とかぶってしまうのだ。 しかしコレで芥川賞をとり、数十年ぶりに故郷の小学校に錦を飾る西村であった。
人間の生活は貧富の差こそあれ、人間の苦悩に差はほぼ無いものだろうと思う私。西村の死ぬような叫びも幸福だった者が突然不幸になるパターンで苦しむのは世間によくある話である。
映画も本も、辛すぎるかもしれない。私はそれを思うと、気分が悪くなり、雷雲に襲われた動物のような怯えた気持ちになる。
西村は2022年、タクシー内で急変し、心疾患で亡くなったそうだ。このとき、55歳であった。ただこの年はコロナが世界中に流行しほとんどの人がコロナワクチンを受けたと思う。無関係では無いかもしれないとおもう。 …合掌。