ロビンソンクルーソー(1719年)
の作者のデフォー、この人は1655年に生まれているんだが、ロンドンではこのときはもう、ペストも終焉になっていく途中だった。きっと彼は幼い時に見たものや、誰彼に訊いたことを、まとめていったのだろう。
ヨーロッパのどこの国かで、イタリアかしら、ペストが出た。それは、どんどん広がって行った。荷物から、衣服から、食べ物から、家のドアノブから、犬猫のペット、豚牛の家畜から。ありとあらゆるものであった。
その恐怖は、計り知れない。家から出ないといっても、食料など、必要なものを買いに出かけると、街中が死人の山、病の苦痛に耐えられない呻き声、死の叫びなどで充満したロンドンの街であった。
ただ、実際に見たわけでは無く、生き残った老人などから訊いたことも多いのでは。
首、脇、股に、頑固なできものができ、塊には膿が入っていて、とっても痛い。それを切ってうみを出すと治ることもあったが、気絶して絶命するものも多かった。
手術中の苦しみ痛さに、我慢できずに逃げ出す者はあたり構わず、菌を撒き散らすのである。
死者は増えるばかりで、「死人数の会報」が毎週、出版された。地区と、死人の人数とだ。
その中でも、特に元気な者が、菌のキャリアーになって、多くの人にペストを感染させていく。自分にも自覚がなく、ひたすら元気で、陽気でもある。コレが一番感染の元凶になり、気がついた時には、大変多くの人を感染させており、本人も呆気なく倒れて突然に死に、その時には身体中に、黒い出来物が現れているのだった。
体に出た黒斑を上品ない服で隠し手袋で隠し、外出する人々もいた。
うつされた人は数限りない。
こいういとこ、今日のコロナ感染によく似ているではありませんか。
まだまだ動ける老人の大声での会話、よくわからん遊びの集会、意味不明。
疲れを知らない若者の動向は、田舎に住む私には全くわからないが、県や国の片手落ちの政策のせいで、
余計に感染増えている気がする。ここは限界の「田舎住い」である。
ただヒタヒタとコロナの影が近付いているような日々である。観光や仕事目的に、こんな田舎に潜り込んでくる人々は後を立たないからだ。
コレがペストであったなら、本当に、皆がコロナの時のように出歩くであろうか。
まず、出歩かない、国はストップ、破滅ということにでもなるだろう。
ましてよくわからないグローバル化とかいっている知的な者らが、知的ぶって優越感のためみ、金儲けに取り憑かれた人間の心が怖い病気を呼び込むのではないか。世界を切り開き、お金を儲ける為に、悪の道に染まったコースを走り切ろうとしている、とおもえる。
お金は、いつまで求めても、キリのない者だから、宗教でも戒めているのである。
は、ほんきのまだににかまれるというのは、他人も破滅させるが、本人も結局破滅するのではないでしょうか。
頭くるけど、みんな黙りこくってなされるがままに流されている。
ある日、友人の医者が主人公の元を尋ねてきた。「もうペストは終わるんだよ」信じられないこの言葉、今週は死人が一番多く出た週なのに!何を言っているのか。
だが、コレは本当であった。
病に伏していた者が起き上がり、、熱がさめてきたり、おできの膿が
出て治る人が続出し始めたのだ。
ロンドン中の人々の顔に希望が現れた。そして余りにも多くの犠牲者を出したが、神のみぞ知るというような、このペストの終焉に、皆が
神に感謝を捧げたのであった。