スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

どうする家康  北条氏を取り潰しにする秀吉

この回は、激動のものであった。そして重大な示唆が数々含まれている。

まず、小田原を守る名門北条氏は秀吉に逆らい続け、ついに、家康、秀吉の大軍に取り囲まれ、ついに降参したが、領地は取り上げられて、遂にお家を潰された。わざわざ秀吉は小田原城の前方の山に、いわゆる「一夜城」を造って驚かせたのであった。

おまけに織田家も潰されたのであった。「改易」された織田家、信雄は何もかも失った。

家康は、秀吉に取り潰しはやめてほしい、北条を許してもらえないかと何度も進言するものの、全く聞き入れられず。小田原周辺の領地は取り上げられ、その代わりに、家康は、江戸という東国を与えられ、移ることとなる。 北条氏を救うことができなかった家康は、自分らが滅んでも、北条氏を救うべきかとまで考え詰めたのではあるまいかーまさか。

またもう一つ大きな変化があるー家康の最強の家臣団らは、バラバラに解かれたのだった。

彼らはそれぞれの領地と城をあたえられ、ゆえに、家康とは離れる事となった。

この憎々しい計画は誰が考えたのであろうか。江戸に配置して北の守りとし、さらに沼だらけの江戸の開発で家康の財も力も骨抜きにし、ヨレヨレにしてやろうという魂胆であったろう。

悔しいことだらけの家康であったが、最後まで家臣団に支えられ、一緒に困難を乗り越えようと誓いあう。

ここまで潰されそうにそうになりながら、江戸で再起を考える家康であった。家臣団らも涙を呑んでこれからの事を考えねばならなかった。