まず、タローという名前は、都会に多く、人口密度が高いほど、出現が多いと思われる。
女児なら、華とかもよく見るね。クソー!という感じになる。御坊ちゃまとお嬢さまと言う意味であろう。桃太郎もあることだし。
ジョンとヨーコの息子のショーンの日本名もタローだ。芸術家一家に生まれた御坊ちゃまだ。
ただ、田舎で、タローなんて気の抜けた名前は付けませんよ。田舎者は、都会人に負けぬように、立派な複雑な名前を好むわけです。皆、ギンギンの貧乏人が多いですから。
さて、これはタローの考え方をギュッと詰め込んだ本だとおもう。
読みやすいし、多分口述で書かれたものだろうと思う。だってタローが、セコセコと文章を書くってかんがえられないもの。
男女の愛、親子の愛、人生と芸術、などまあ、半永久的な人生の悩みが大胆に書かれている。
フランスでパリ大学を経て12年暮らしたのちに世界大戦で帰国し、兵隊となった。
若者と一緒に訓練を受けてヘトヘトになった30代のタローであった。
フランスにいる間に、母の岡本かの子が死んだときは、ショックで、足がぐにゃぐにゃになったぐらいだった。
彼はとても親の恩を感じている子供であった。自分一人で生きてきたわけではない、親に対する感謝が彼を大きくしていたと思える。
いまの子は、私でも、親に真面目に感謝などしないだろう。フン!、というぐらいのものだ。
芸術の見地では タローは、母のかの子を世俗に媚びる作家として批判している。
世間に媚びずに、孤独でもなんでも、自己の世界を切り開いてこそ、その生き方が、所謂純粋な芸術であると言っているのだ。美しいもの、心地よいものを壊せ!
カッコ良い生き方、楽な生き方、得する生き方などはタローにとって何の魅力もないのだった。
筋肉があって体が強いから良い、スタイルがよく綺麗で良い、頭が良く勉強ができて良い、金持ちで良い、成功してよい、こういうもにはかえって、害が多いばかりであると言う。才能などと言うものは、ただ邪魔で、害になることの方が多いんだって。
女はただ純粋に愛を貫こうとし、男は、欲や権力が心にあって、不純な生き物という言葉に、
おばさんは本当に救われた気持ちになった。男の身勝手には、もううんざりですからね!
タローは子供の時から自分の中の純粋な聖域をまもるために戦って来たようなところがある。
重厚なパリの中で、もちろんコピーはダメだし、どうやって自分の芸術を切り開いて行ったのだろう。
きっと、血の出るような戦いがあったに違いない。本に載っているシンプルな挿絵を見てもそう思うおばさんである。
欲も快感も切りのないもので、完成すると言うことはない。そんなことに、安住の場所はありはしない。そもそも人間に安住の場所などあるのか。
恐怖を自分の皮膚として持つ人間は、不安と恐怖から離れることはできない宿命にあるのだ。
幸福に酔っている家の隣で、血を流して苦しんでいる人がいるかもしれない。
そう言う世界観が、やはり大切であろう。
タローが唱えているのは、今の世界の最先端の人生観である。
呪術としての芸術、人間世界を超えた呪術の大切さを説くタローは、ちょっと、
進んでいると思う。言葉のない交信のような感じか。
死後にゴッホについてだが、彼が死んだのは、やはり、行き詰まりであったらしい。
げいじゅつとはー!
ああ、死んで初めてゴッホはその意味がわかったと言う。ヨイコは真似をしないで下さい。
ピストルで胸を打ってから丸一日生きていたゴッホである。いや、知らなかった。
そこに見えたものは、芸術を超えたものであった、とタローは言うのだが、そこはおばさんにはよくわからないのです。
芥川なども、行き詰まりで、倒れたのだが、この行き詰まると言うことは実はとても大切なことで
これをもとに、大きなものが生まれる「始まり」だそうだ。
なるほど、そうかもしれない。
タローは少しでも人のためになると思って、この本にあるようなことを伝えたかったのだろう。