スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡} 2014年 アレハンドロ G.イリャニトゥ監督

ゴンザレスイリャニトゥ監督という舌を噛みそうなお名前で、アカデミー賞を取ったのだ。

まず、題名に騙されるのだ。別の題名であったなら、こんな苦労?はしないで済んだ。

主演はマイケルキートン(バットマン)で、鳥と縁がある人だ。娘にはエマストーン(ラ ラランド)がでている。やたら目の大きい女優である。この人の出演が、大きかったのかな。

ワインスタインの力かな。予期せぬ奇跡はいつ起こるのかと、最後まで見たが、

予期せぬ失望を味わう作品だった。主人公は落ち目の俳優で、幻視や、幻聴が出て来ていた。

映画の中ですでに現実と自己の内面とが区別できないような夢見るおじさんである。自分は本当はバードマンだと思い込んでいる。ワオ!

 

エドワード ノートンという「素晴らしきかな人生」とか「ファイトクラブ」「幻影師アイゼンハイム」とかに出ていた俳優でキートンの演技に強さと弾力を与えた。しかし、ふざけたことを高尚にしゃべっている男だった。

 

 

無知とはどういうものだろうか?

観客が無知なのだということなのだろうか?

無知という言葉に引っかかるすっぽこである。自分のことを言われているみたいでイヤなんだ。

 

ふざけるなと言いたい。空を映画のバードマンのように飛べる自分にあこがれていた。バードマンはかつての主人公の大ヒット作品であった。主人公は当たり前に懐古主義の老害にさいなまされている。そもそも現実と舞台と自己の内面が奇妙に練り合わされて合成された、これはそういう作品である。こんな幼稚な手は使って欲しくないね。

チェ、何がどうなっているんだ。

 

ジーと画面とにらめっこして見ていないと、喋っている会話がなかなか高尚であるから難しく、目も耳も離せない。文学的香りのする会話文。シャークスピアばりの多弁である。

 

 

 

ただ無知のところはthe   unexpected   virtue of  ignorance となっているので、どのように訳すのかで、いろいろ異なってくるであろう。「無知」という日本語訳が誤解を生み、作品をさらに汚した。誰がこんな題名を考えたのか。この題名に始まりこの題名に終わる。そんな映画。クソッ!なぜこんなに腹がたつ?

 

ありゃ、こりゃだめだ。駄目だわさ。このDVDのパッケージの写真のように真ん中に主人公がスックと立っている映画はスカが多いと思う。あしからず。