なかなか見れなかった、この作品。
蜜蜂と遠雷、其れにしても壮大な題名を付けたものですね。遠雷とか、使っちゃってね。
初めは、宮沢賢治の「春と修羅」のカデンツアが皆に課せられたので、それぞれに、弾いて見せる。
そこで落選してしまう、松坂桃李であった。彼は、子持ちの家庭人であり、生活に根ざした音楽を試みたが、一次予選で、退く。
cadennzaというのは、即興音楽的なものらしい。
一方松岡茉優や、他の有力な二人の男性も、予選を合格した。
松岡は、小さい時から、母にピアノを習い、母と共に歩んできたが、突然に母が亡くなって、それ以後
ピアノに向かうと母の事が心に浮かび、うまく表現が出来ないという傷を持っていた。このクサイ設定は、何なんでしょうか。
母娘の関係ってむずかしいよね。
ただ彼女はコツコツとピアノを続け、何度かコンクールにも参加はしてきた様だった。ただあとの一踏ん張りがついて行かない癖が付いていた。
もう一人の青年は実は幼馴染で、彼はアメリカのジュリアード音楽学校を出た天才ピアニストとして期待されていた。
もう一人はメッチャ癖のある青年で、これも神童と呼ばれるにふさわしい才能をもっていた。
この三人の中で、優勝するのは、誰なのか。熾烈な闘いになるだろう、と審査員達も固唾をのむ。
このコンクールを最後に、負けたらもう、ピアノはお終いにしようと、松岡は考えていた。
審査委員長の斎藤由紀は、そういう、松岡の心中をも見抜いていた。そっと、応援している様だった。
貴方ならきっと出来るわ、と。
最後はプロコフィエフの超絶技巧の様な難曲であった。ということは、宮澤賢治は、甘く見られたものよのう。利用されたんじゃよ。前座にされてさ。
つまりプロコフィエフィが本命。よっぽどこの曲が好きなのね。私は、大嫌いだわ。
コレを最後まで弾きこなすにはよっぽどの気力と技術と才能と、アリとあらゆるナンジャカンジャが必要みたいよ。
この映画、なんだろうね。音楽映画なのか、トラウマ映画なのか。キモい映画であったなあ。
まず、配役がキモいし選曲もキモいし、なにもかも感性のない作品に仕上げてあります。
なにより、主人公の母娘のピアノを通してのふれあいが、心がゴソゴソしてきて、見るに耐えないものだった。
何があったの?監督にお聞きしたいものです。
もう、イヤ!