彼は、ギリシャのレフカダ島で生まれたとある。日本に帰化し、後には東大で、英文学を講じていた。
不幸にも両親と別れ、世界を漂流した人生でもあった。そのような生い立ちであったのだ。ところで、この本の最初の項は弘法大師(空海)についてである。外国人の男が、弘法大師について丁寧に綴っている。その事にまず驚くのである。弘法大師の立派さを、我々日本人こそ知らないのである。「弘法大師一代記」と言う本があるそうだ。知らなかったわなあ。探したが、ないのだったそんな本は。いや、国会図書館のデジタルライブラリーに入っていると言うではないの。
日本人に初めて、ひらがなや、いろはの音節文字を教えたと言う人であり、もうそれだけで、何をかいわんやと言う功績である。彼は達筆の書家であり、それについての伝説も多くある様だ。コウボウモフデノアヤマリと言う諺を、特に習字の時間は教えられた覚えがあるのも、もっともな事だったのである。
ただ伝説はあまりに多く、とんでもないものもあることも確かだ。ただ日本人はあまりにも、彼のことを知らないというのが事実らしい。
留学地の中国で、また日本の天皇からも絶大な信頼を寄せられた人なのだ。 まず初のページから、弘法大師の話が出てきて、面食らってしまった。しかも書いたのはラフカディオハーンと言う外国人なのだ。
次の章は 日本の名勝地の、鎌倉と、江ノ島である。鎌倉の大仏さんと、その他、江ノ島の神秘的な様子などが書かれている。自分の足で江ノ島に歩いて行く時、それはとても塩の香りとともに、えも言えない深い歴史といろいろな複雑な思いを感じたと作者は言っている。鎌倉で源頼朝が、フビライハンの3人の使者の首をはねたと言う。恐ろしい話もきちんと書いている。彼は日本の歴史についてもきちんと理解しようとしているのが凄いと思う。鎌倉と言う地は、不思議なところである。そのような感銘を受けたと、彼は告げている。鎌倉の大仏様は、とても大きなもので、想像絶するような雰囲気があったと言っている。それは何であったろうか。で、わらしのような子供のような顔をした。大仏であったと言う。その大仏さんの半開きの目は、とても優しく、まるで無垢な赤ん坊のような目でもあったと彼は述べている。私は早速写真を見てみた。まさにそうであろうという感じもした。また鎌倉には1250年頃の古いお寺があり、閻魔大王が鎮座しておるのだ。運慶作と言われていて、とても怖い像であって特に目が悪夢の様な感じがして怖かったと感想を書いている。そこでは国宝のようなものがあって足を見るための足を触ったりするための観音様もあると言う。その観音様の頭には12個の仏の像が載っており。十一面観音菩薩と言うのはどういう人かと言うと、すべての人々の安寧を願って自分の悟りは後回しにして悟ることをやめてしまい、全てを投げ捨てた人、そして人々のそばにいようとした仏だと言う。本当に素晴らしいことであった。
このような日本にある仏像など見て歩いた彼の感性は濁っておらず素晴らしいものであった。松江の近くにある美保関、日御碕、出雲大社、そして隠岐島と次々に行ってみたのであった。どれもこれも面白く特別であった。隠岐島では、つまりは、新聞が来ないような裏ぶれた島であった。何の文化もなく原始的な漁村であった。彼はフライドポテトとステーキと言うもてなしを受けたと言う。これにはすっかり驚いてしまった。そんな文化的なものがここで食べれるのか、そのもてなしをした人々の心意気に驚いたと言う。それもそうであろう。しかし彼は本当はそんなものは欲しくなかったのである。皆が日本人が食べているもの、そういうものを食べようと思っていたからである。それですっかり意気消沈してしまったと言う。わざわざこんなところでヨーロッパの小技の聞いた食べ物が食べたかったわけでは無いのだから。
最後には、小泉節子と言う彼の妻が出てくる。その人の手記が数ページにわたって入っている。これはとても興味深いものでろう。ラフカディ オハーンが、どういう人かと言うことを、正直に語っているところが面白いのである。小さな動物、ものすごく荒れた、お寺、裏ぶれた神社、そういったものをとても愛していた。彼のことが書かれているが、彼は実際そういう人であったらしい。最後は心臓麻痺で死んでしまったのである。苦しむこともなく笑顔浮かべていたと言う。54歳と言う。若干若くして、なくなったことは哀れであった。ほんとに惜しむべき。そして悲しむべきことであると私は思っている。ただその時代の平均年齢と言うのは、とても低いものであった。と言うことも念頭に置くべきであろうか。
彼の人生は世界のあちこちに旅をして、日本という国になんとか落ち着いっと思う暇もなく、この世を去るという不思議な運命であった。彼は日本人の明け透けな人間性を敬愛していた。障子や襖一枚でできたプライベートな生活は、何処をどうもがいても明け透けであったのだった。そうであってもあっけらかんと生きてゆく日本人。それを見て、彼は不思議な気持ちに打たれたという。





