あの日あの時以来絆は解かれ、信頼は失われた。付随して当然だが、真実も深い地中へと埋められた。
各々が唯一神となり、それは、常にジャンクフードを食べるぐらいに屈辱的で軽蔑すべきハビットとなった。
目の前にあるもの以外は信じないと言うのであれば、殆どの裁判は意味のないものになっていくだろうし、あまりにも頭が悪いというか、心の目がないと言うことになる。
キリストも、モソモソ白いうどんを食べる日もあっただろう。いつもスーパースターでいられるわけはないのだし。だからといってそれが何か彼の弱みを見つけたということにはならない。
真実と言ったって、私のカードは、ヨレヨレのへろへろの既に価値のない古ボケたお札のようなものだろうか。
それだから、家族から馬鹿にされ、貶され価値のないもののように、隅へ追いやられているのか。
嘗ての私が自分の母親をそうしたように。常に潔癖と公平を貫こうとする私は、母のしてきたことにその彼女の過去に欺瞞があるとして、彼女を責め立てた。ただ同時に、私自身も死ねばお互い楽になるだろうと思ったりした。運命めぐりめぐるものだとは全くで。
つまりは、浮かれて暮らしてた訳でもないのに、何故か今は地中に暮らしているような有様です。確かに思慮も度胸も足りなかったとは思うが、罰を受けなくとも人間は、なかなか平坦にばかり生きられない。目に見えぬ何かにつまずいて、目に見えないからこそ、その網にかかるのだ。